386「ユニット切望」



Together!-タンポポ・プッチ・ミニ・ゆうこ- amazon.com/購入もできます)



この前CDラックを漁っていたら、
奥の方から、1枚のアルバムがひょっこりと姿を現した。
もうずいぶんと長い事聴いていないそのアルバムを手に取り、ボクはしばし考える。
もしかすると、このアルバムに、モーニング娘。「再生」の極めて重要なヒントが
隠されているのではないだろうか。
2001年に発売された当時は、シングルを寄せ集めただけの、
いかにも凡庸な出来のアルバムという意識しかなかった『Together!-タンポポ・プッチ・ミニ・ゆうこ-』。
だが今、その寄せ集め感こそが、モーニング娘。に最も必要なのではないか。
数年ぶりにアルバムを聴き進めるうち、ボクは強くそう感じるようになっていった。


当時はメンバーの数が多く、思いついたバリエーションを拵える事が比較的容易かったという部分はあるだろうし、
グループ自体の人気が上げ潮だった事ももちろん大きいと思うが、
当時の、いわゆるグループ内ユニットは、母体であるモーニング娘。に、
少なからず良い影響を与えていたのではないかとボクは感じるのだ。
つまり、ユニットとして別行動を取り、その活動の中で、知名度なりキャラクターなりを確立し、
それを再度本体に還元するというひとつの流れが、当時確かに存在していた。
プッチモニにはゴマキがいて、ミニモニ。には辻と加護がいて…という具合に、
ユニットで獲得したネームバリューが、そっくりそのまま本体にフィードバックされる事で、
本体の人気度が上昇したという側面は確かにあったし、
またそれとは逆に、「モーニング娘。からまたまた新ユニットが!」というトピックが出回り、
本体の知名度がユニットの人気を後押ししているという面もあった。
プッチモニミニモニ。は、モーニング娘。がブレイクした後にできたユニットであり、
まず本体の知名度があって、そこから人気が波及していった可能性が高いが、
いずれにせよ、ユニットが売れる事で、結果としてモーニング娘。に耳目が集まった事は間違いなく、
当時のグループ内ユニットは、「モーニング娘。人気」の大きな支えの一つだった。


時間は流れ、モーニング娘。自体が、ハロプロのグループ内ユニットのような位置づけとなり、
モーニング娘。という看板単体でムーヴメントを起こす事も難しくなってきている昨今。
そこにきて、ソロの仕事が特に重要視され、猫も杓子もソロ写真集を出しているような、
個人主義」の傾向も、一層強くなってきている。
それはある意味仕方のない事だとも言えるし、ある部分では忸怩たる思いもある訳だが、
そういう部分も全て含めて、モーニング娘。という魅力のカタマリを、再び活性化させるべく、
多少のリスクは覚悟しつつも、ここいらで、やはり何かアクションが欲しいところではある。


そこでボクは、モーニング娘。に、最新型のグループ内ユニットを作り出すという作戦を、
あえて2007年のこの時期に提案してみたいのである。


急にそんな事できないというのは重々承知だし、
仕掛けて必ず結果が出るとは限らないという事も解っている。
だが、夢よもう一度ではないが、当時の本体とユニットの関係性がもたらした活況。
そして、両者が絶妙に絡み合う、ポジティヴ・スパイラルとも言うべき好循環を再現できれば、
こちらの予想以上の結果が跳ね返ってくる可能性も大いにあるだろう。


チャイニーズの2名が加わって、人数的にもちょうど具合は良くなっているし、
上手い具合に、個性もそれぞれ異なる今のモーニング娘。ならば、
イデアひとつで、相当面白そうなユニットが作り出せるのではないかと思うのだ。
そして、それを足がかりに、本体の知名度や人気が上がったりすれば、こんな痛快な話はない。

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385「成長の妙。」



17〜ラブハロ!道重さゆみ写真集amazon.com/購入もできます)



何度もここで言ってるが、モーニング娘。ハロプロのファンをやっていて、
本当に良かったと思う事のひとつに、「成長の妙」を体感できるというのがある。


特に現代のハロプロメンバーは、活動スタートの年齢的タイミングが非常に早く、
19歳でデビューした三好絵梨香やジュンジュンなどは、本当にレア・ケース。
まあどれだけいっていたとしても、だいたい16歳くらいがボーダーで、
ここ2年ほどの新入りメンバーは、ほとんどが12歳やら13歳といった、「少女」の年齢という状況。
綺麗なメイクや、露出が多めの大人びた衣装などに身を包んではいるが、
さすがに「オトナの雰囲気着せられました感」がありありで、萌えたり心魅かれたりするというよりは、
家族的な愛情というか、ラブやエロスではなく、
アガペーの精神で新メンバーを見つめてしまうという事が多くなった。
もちろん、素材の良さというものが、そういった粗をある程度までは帳消しにするのだが、
よほどの少女趣味でなければ、なかなかとっつきにくいものなのではないかと思う。


だが、そんなあどけなかった少女たちも、当り前の話ではあるが、
時間の経過とともに、どんどんと心身を成長させていく。
身体つきがふくよかになるのと反比例するかのように、精神はよりシャープなものとなり、
見た目も中身も、少女から女性へと徐々に変貌を遂げるのだ。
そして、ある日突然、衣装やメイクが年相応のものとなり、
オトナな雰囲気にすっかり違和感がなくなってしまう瞬間が必ず訪れる。
その時初めて、少女からオトナへと成長していく個人遍歴を、
一瞬たりとも見逃さずにいた自分というものに気がつき、
その「成長絵巻」の壮大さに、思わず感無量の心持ちとなるのである。
そして、その成長の過程こそが、女性として最も輝きを放つ瞬間であるという事に、大いに気づかされるのだ。


加入当初に見せた天然ぶりにやられ、ボクが「お気に入りに追加」した頃の道重さゆみは、
あどけない田舎の少女という風情バリバリで、そんな彼女に熱を上げるボクは、
よく周囲から「いつから幼女趣味に…」などと言われたりもしたものである。
確かに、加入当初の彼女の容姿や言動を見れば、そんな風に思われても仕方がないのかとも思うし、
事実、大人びた雰囲気というのとは真逆の位置に存在していたのが彼女だった。
そんな時代を知っているからこそ、今回の写真集のセクシーさすら漂う姿に、
何とも言えぬ気持ちにさせられてしまうし、やはりどこまで行っても、
ボクの彼女に対する思いはアガペーなのだなあと、しみじみ感じてしまうのである。


決して背伸びはせず、もうすぐ18歳の、年齢相応の美しさが満載の写真集。
そこに、歌が上手く唄えずにビービーと泣いていた、山口から出てきたばかりの少女の姿の面影はない。
様々な経験から、確実な成長を遂げ、名実ともにオトナになろうとしている、
一人の女性・道重さゆみが、そこにはいるのである。

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384「MELON LOUNGE」



MELON LOUNGE公式ブログ



最初に話を聞いた時には、失礼ながらも「何それ?」という感想しか持ち得なかった、
メロン記念日フィーチャーのクラブイベント『MELON LOUNGE』。
別にイベント自体にイチャモンをつけようという訳ではなく、
そういうイベントが、今現在のメロンの客層で成立するとは到底思えなかったのであるが、
蓋を開ければ1年間にわたり5回の開催。初回くらいは、さすがに「モノは試し」的な趣きだったのだろうが、
そういうのが好きな人間はちゃんといて、それ相応の需要があると見込んでの連続開催。
結果、大盛況な訳だから、メロン記念日の活動における可能性が大きく広がったという意味で、
彼女たちにとっては、実に美味しい「メッケもの」となったに違いない。


イベントの成功要因はさまざまあろうが、ボクが注目したいのは客層の部分だ。


ラウンジのようなイベントを本来好むような客層と、メロン記念日のコアなファン層。
共通因子も多いだろうが、基本的にはまったく毛色の違う人種で、
ヘタをすれば、お互いが相容れない存在どうしであると言えるかも知れない。
だが、その正反対の嗜好を持つ聴衆を、メロン記念日の4人と、
イベント『MELON LOUNGE』がひとつにまとめ、今、まったく新しい形のメロンファンを構築しつつある。
そして、それはもちろん、ハロプロ始まって以来の「異文化交流」の形でもあり、
今後のハロプロの活動に、そのノウハウがいい感じでフィードバックされていけば、
有望な未来が開けていく事だって、夢ではないとボクは思う。


少し前に、演者とファンには距離感が重要だと書いた。
「つかず離れず」の絶妙なバランスで付き合う事が肝要だという持論は変わらないが、
メロンとそのファンのような、「独特の間合い」が絶対的に存在する関係性もある。
どちらが良い悪いではなく、演者とファンの両者がそれぞれで、
しっくりとくる距離感が見つけられる事こそが最もハッピーなのであり、
その為の努力を、お互いが決して惜しんではならないだろう。

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383「ちっちゃい身勝手、でっかい損失」



矢口真里、来年1月に電撃結婚?オリコンスタイル)



「何のせいだ」とか「誰が悪い」とか、
今年に入ってからというもの、そんな不毛な犯人探しばかり。
もういい加減うんざりもしているのだが、それでも次から次から、
メンバーのみなさまが、いろんなことをやらかしてくださるもので、
気がつけば、結局また、いやらしく他人のよしなしごとを詮索してしまっている。
本当、まったくパッとしない、ここのところの日々である。
で、そんなパッとしない作業を続けていると、最終的には、いつもこう同じ事を思うのだ。
「そもそもなんでこんな事になってしまったんだろう」と。


華々しくスポットライトを浴びたいという思いを胸に、
自らオーディションを受け、芸能界を志す。運よく才が認められ、芸能人の仲間入りを果たしたならば、
例えそれが気に染まない事であっても、一生懸命に全うしようと努力する。
これは多分だが、最初は誰しもきっとそうなのだと思う。
ところが、ある日を境に突然、「ガマンできないからもうやりたくない」と言って、
自分に与えられた責務を、それが任期の途中であれなんであれ簡単に放棄したり、
様々なものに後ろ足で砂をかけておきながら、それがまるで当然であるかのように、
「私は悪い事などひとつもしていない」と言わんばかりの姿勢を見せる者が出てくるようになる。
そんな社会への反抗に、さぞかしきついペナルティが待っているのかと思いきや、
事務所はそれにお灸をすえるでもなく、まるで他人事のように事務的な対処に終始し、
時間が経っていろいろな事がうやむやになるのを、待っているようにさえ見える。
一体、そんな風になってしまったのは、なぜなのだろう。
事あるごとに、その要因を探るべく、ボクは目の前に落ちている細い糸を、
ゆっくりと手繰り寄せるのだが、ほぼ例外なく、糸はある同じ1人の人物と繋がっていく。
すなわち、一連のゴタゴタの「元凶」とも言うべき存在。
その存在が残した悪しき前例こそが、今のハロプロ危機の全ての要因なのである。


矢口真里の事はもう終わった事なのだ。それは間違いない。
件の彼とは綺麗さっぱり別れたようだし、しばらく剥奪されていたステージで唄うという行為も、
今ではすっかり解禁となり、彼女の周囲には、以前と何ら変わらない時間が流れている。
だが、ボクには、2005年の4月に彼女が起こした「叛乱」の大きな後遺症が、
2年以上経った今になって、ジワリジワリとハロプロ全体を蝕んでいるように思えて仕方がないのだ。


「頭を下げたり、最悪辞めれば、なんだって問題は解決する」
「責任さえ取れれば何をやろうが自由」
「事務所もそれをある程度は許容してくれる」
「ほとぼりが冷めれば、また今まで通りの生活でよい」


彼女が作ってしまったそんな前例が、今のハロプロメンバーの大きな後ろ盾となっているのは、
加護や藤本や辻の事から考えてもも明明白白であり、彼女たちの無責任な行動が招いた、
モラルハザードの行きつく先が、「ハロプロは誰にだって【ヤらせる】」というような、
何とも情けない評判というのでは、こちらとしても非常にやりきれない。
ところが、当の矢口はと言えば、仕事的になんとも順風満帆な雰囲気。
バラエティ要員として、相変わらずの動きを見せている他にも、
雑誌連載。それをまとめた本の出版。歌の仕事なんかも普通にこなしているようで、
記者会見の発言などから見ても、なんともイキイキと仕事をしているように映る。
それが悪い事だとは言わないが、起こっている状況が状況だけに、
「オマエは平和やのう」などと、悪態の一つもつきたくなってしまう。


矢口も含めた「自分に正直」な者たちがいる一方で、己の置かれた立場を理解し、
ある程度の部分までで欲求を自制し、与えられた任務と真摯に向き合う者も、ハロプロには少なからずいる。
もちろん、後者の生き方が絶対的に正しいし、評価ももっとされるべきなのであって、
矢口的な生き方は、どこまでいってもただの身勝手でしかないのだ。
だが、時代がどうとか、気質がどうとか、都合のいいエクスキューズにくるんで、
そういう身勝手な生き方が、巧妙に正当化されつつある事が、ボクは実に嘆かわしい。
そして、そんな身勝手が平然とまかり通ってしまうのが、今のハロプロなのである。


「辛いことは70%でしたね」


その数倍辛かったファンがいるという事を、彼女は知っているのだろうか。

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382「本当にあった怖い話。」



Cutie Circuit 2007 〜MAGICAL CUTIE 感謝祭〜 開催決定!!(オフィシャルサイト)



何度シミュレーションしてみても、脳裏に浮かぶ光景は、まさに阿鼻叫喚。
本当にそんな事をやってしまってもいいのか、思わずこちらが心配になってしまうほど、
かなりぶっ飛んだ企画の話がボクたちの元にもたらされた。
勢いに任せた俊足と、時にとてつもないパワーを見せる打撃力を兼ね備え、
今やハロプロの「2番バッター」とも言える存在になった℃-ute
その℃-uteが、『Cutie Circuit 2007 〜MAGICAL CUTIE 感謝祭〜』と題したイベントを、この夏開催する。
それ自体はなんて事はない。問題はその中身である。


ハロプロ史上初!! お客さん参加型℃-ute運動会の開催決定だよ!!】
【運動会は、メンバー、お客さんを2チームに分けての真剣勝負!】


8月終盤の東京体育館に、毎度℃-uteコンに参戦しているコアなファンの皆さんが集結。
メンバーと共に、まさに「アツい」運動会を繰り広げる光景というものを、
何はともあれ、まずは想像してみていただきたい。


そこかしこに蠢くファン代表の大半は、当たり前だが女子供などではない。
爽やかさとは無縁と言って差し支えない、まさに「リアル・男たちの挽歌」。
飛び散る汗と体液は、必ず体育館の雰囲気を修羅場に変えることだろう。
そして、その傍には、爽やかさの権化とも言うべき℃-uteのメンバー。
「爽快感」と「澱み」、陰陽真逆のオーラの鬩ぎ合いの異様な空気が会場を包み込むのである。
これを阿鼻叫喚と言わずして、一体何と言おうか。
作り手の皆さんが、よもや℃-uteの客層について無知なはずもなく、
つまりそれは、℃-uteのファンが運動会に参加しようとした時、
体育館の雰囲気がいかなる状況になっていくのか、ある程度理解ができていて、
それでもあえて実現させようとしているのに他ならず、その勇気とセンスには、改めて閉口してしまう。
しかも、今日現在、唯一発表されている種目が【『℃-uteと一緒に玉入れ!』】だと言うのだから、
ちょっとこれはもう言葉も出てこない感じである。
ただ、ここまで突き抜けた感じでいってもらえると、逆に面白くなってくるのも事実で、
その阿鼻叫喚っぷりを、ためらいはあるものの、少しくらい垣間見たいという、
いわゆる「怖いもの見たさ」の精神が、案外と多くの非固定客を呼ぶ事だろう。


℃-uteを取り巻く「大の大人」のファンたちを、他人目線は、
「いたいけな少女を必死に愛でるオッサンたちの集団」と一刀両断にする。
確かにその通りだし、その在り方はキモいと言わざるを得ない。
しかし、よく考えてみれば、そのオッサンたちの直前に立つ℃-uteのメンバーは、
自分たちの中にある魅力を自覚し、それを武器にして、親ほど年齢の離れた彼らを次々と手玉に取っていく訳だから、
つまり、℃-uteの前では、むしろオッサンたちの方が「いたいけ」な存在であると言えなくもない。
いたいけなオッサンたちが、魔性の目を持つ少女たちに魅せられ、
その言われるがままに、衆人環視の中で、楽しげに玉入れに興じる。
つまりは「悲哀」である。
今回の運動会、阿鼻叫喚の地獄絵図の怖いもの見たさへの誘いであると同時に、
性(さが)に苛まれ、少女たちに操られるまま、
運動会に参加してしまう大人の男たちの悲哀を表現した、
一種の「人生劇場」を、涙ながらに目の当たりにできる場でもあるのではないだろうか。

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381「天気予報の恋人」



天気Wikipedia



アイドルとファンとの関係とはつまり、毎日の天気のようなものなのではないかと思うのである。


天気というのは、物理的な何かではなく、あくまでも天の差配のしわざである。
だから、「今日は晴れて欲しい」と思ってもそうはならなかったり、
「そろそろ一雨欲しい」と考えると、日照りが何日も続いたりといった具合に、
こちらの都合通りには、なかなか事は運んでくれない。
理想は、こちらの思うように天気を調節できる事だろうが、そんな事、当り前の話だが誰にも出来っこない。
将来、そんな発明を中松さんあたりがやってのけてしまうかも知れないが、
現状、気まぐれなお天気を、ボクたちの意思でコントロールする事は不可能だ。
天気を調節する事ができない以上、地上にいる我々としては、
「お天気なんてそんなもの」という事を理解し、大前提にした上で、
暑ければ薄着をし、雨ならば傘の準備をし、災害に備えて家の補強をする。
言わば、毎日の天気に対する、自分なりの「対症療法」に終始するしかない。
幸い、天気予報である程度の予測はできる世の中。それを基にして、
自分なりの天気との付き合い方を構築できれば、例えどんな天気であっても、
割合、快適に過ごす事ができるかも知れない。
しかし人間、時には傘を忘れ、雨の中をずぶ濡れになる事もあるだろうし、
日焼けのし過ぎで水ぶくれができてしまう事もあるだろう。
だが、雨や日光を責める事はできない。なにせ天気とはそういう気まぐれなシロモノ。
悪いのは、天気のそういう性質を理解できず、傘を忘れたり日焼け止めを怠ってしまった自分なのである。


素材としてのアイドルが発掘され、育成を経て、ボクたちの前に姿を現し活動するという一連のプロセスは、
そういう事が行われていると知ってはいても、本来なかなか目にできるものではなかった。
まさにそれは、見えざる手の差配の如く、ある日突然この世にもたらされるようなものであり、
逆に言うと、そういう見えない部分だからこそ、誰も気にしてこなかったのである。
そして前にも書いたが、ボクたちは常に「与えられる」者。あくまでも受動的な存在でしかなく、
ボクらがどう講釈を捻り出したところで、与えられた物の生い立ちや性質まで変える事などできないはずなのだ。
天気を変えようなんて無理だし、まして天気の神様に直接干渉なんてできる訳もない。
ボクたちにできる事は、起こる天気と上手に付き合い、少しでも快適に過ごすという事。
それしかないのだと、ボクは思うのである。
モーニング娘。Hello!Projectは、そういう「見えざる手」の部分までをもショーアップし、
大々的に公開する手法がファンにウケて、人気を博してきた側面があるが、
それが、ファンと演者、お互いの距離感を大きく麻痺させ、
ボクは、今のような事態に陥っているような気がしてならないのである。


アイドルとファンとの距離には、絶対的な「黄金比」がある。
そして、その距離のバランスに狂いが生じたとき、両者の関係性は崩壊するのである。
ただ、楽観と言われそうだが、ボク個人としては、ハロプロとファンの関係性は、
ギリギリのところだけど、まだなんとかバランスを保持していると思っている。
もちろん、危うい現状には違いないが、「彼女たちはこんなものでは終わらない」とボクは信じているし、
彼女たちが頑張る姿を見せ続ける限り、ファンはきっとその後をついて行く。
ボクは、アイドルとファンの関係なんて、それだけで十分だと思っている。
与えられた「アイドル」というエンタメを最大限楽しもうとする、
毎日の天気に不平を言う事なく、その気候に適応しようとする姿勢をブレさせない、
賢明なファンがまだまだ多くいる以上、ハロプロは大丈夫だとボクは思っているのだが。

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380「説得力」



元モー娘。紺野あさ美が電撃復帰!(デイリースポーツ)



11か月前、「卒業後は学業に専念します」と言って、
モーニング娘。を卒業した紺野あさ美が、ガッタスのCDデビューに合わせて復帰する事になった。


今明らかとなっているこれが事実の全てであり、その背景にあるものや、それぞれの持つ思惑などという話は、
彼女自身と、その近しい人間しか知りえない、言わばブラックボックスである。
そういった部分に、こちら側であれこれ思いを巡らせる事は可能だが、
今回はあえて、事実以上の想像はしないでおこうと思うのだ。
そういう、勝手な想像からの思い込みが、時に不毛な「論争」の火種になるという事を、
特に最近は、身にしみて実感するようになったし、
誤った思考で話が進んで行き、事実が捻じ曲げられてしまうというのも本意ではないので、
あくまでも、目の前に与えられた事実だけで、ボクとしての意見を述べようと思う。


でまあ、いろいろ考えてはみたのだが、やっぱりどうやってもこれは、
相当に格好悪くて、ブサイクな話だと言わざるを得ない。
おめでたい(事なのだろう、一応は)話題であるとは思うが、
決して見栄えの良い、聞こえの良い話などではないというのが、とりあえずのボクが抱いた印象である。


今さら、卒業式の時に流した涙を返せなどと言うつもりもないが、
「ステージに上がるのは最後なので頭に焼き付けておきました」
なんていうコメントを残し、あれほど大々的に卒業式まで開いて、
ファンに別れを告げてから、わずか1年経たないうちに、
「大学生活と両立できるか悩みましたが、熟慮の末、決意が固まりました」
で、ハイ復帰。というのだから、じゃあ一体あの儀式は何だったの? と嘆きたくなってしまうのも仕方がない。
乞われてなのか、あるいは自主的なのかは知らないが、
夢があると大見得を切って旅立っていった割に、その夢が実際叶うのかどうかもよく解らないような、
こんな早いうちから、芸能界との二足のワラジを決め込み、しかも、
「大学で学び、成果を残してしっかり卒業する、というのが自分の成し遂げたいことであるのは変わらない」
と、当初の卒業の大きな理由であったはずの「夢の実現」という話さえ、なにやらウヤムヤになってしまっている感がある。
(大学に進む事そのものが夢だったというのは、少なくともボクは知らなかった)
もちろん、実際にはそんな事はないのかも知れないが、
こういう一連の流れの中に、確固たる説得力を見出せるかと言えば、ボクは決してそうは思わないし、
昨夏、華々しい有終の美を飾った、あの紺野あさ美の復帰劇だというのに、
なんとも薄っぺらで、釈然としない思いばかりが募ってしまう。
ボクとて、復帰する事そのものについては別に反対ではないけれど、
そのタイミングと経緯を考えた時、もうちょっと他にやりようはなかったのかと、実に残念でならない。


確かに、卒業に際してのコメントを再度熟読すれば、
「卒業後は学業に専念しますが、このお仕事が大好きなので、
         今後についてはいろいろな方向性をポジティブに考えたいと思っています」

などと書かれてあり、復帰への伏線がしっかりと残してあったという事は伺えるのだが、
「しばらく会えなくなる」という、ファン共通の思いがもたらした、
昨年の春から夏にかけての、紺野あさ美卒業に対する、あの独特の機運というものを思えば、
少なくとも大学生活を終えるまでは、表舞台に出てくる事もないと普通は考えるだろうし、
だからこそ、正月のハロコンで紺野が出てきた時には、
「彼女も普通の学生として過ごしているんだし、事務所も一線画して考えるべきなのでは?」
などと、その演出の在り方に苦言も呈したのである。
別に二足のわらじも悪くはないが、まだ1年生も終了していない段階。
学業優先の文字を見て、「そんなんで芸能活動、厳しいんじゃないの?」とも思うし、
両立可能の高らかな宣言を聞けば、「大学の勉強って片手間でもできるものなの?」などと、
ついつい意地悪っぽく言いたくもなってしまう。


こうして、明るみになっている事実とコメントだけを取り上げて、改めてこの一件を見渡せば、
冒頭ボク言った「格好悪くてブサイクな話」という意味も少しは理解してもらえる事だろう。
とにかく、何もかもが付け焼刃的というか、これまで数々の適当ぶりを発揮してきた、
アップフロントの歴史の中でも、特にやっつけ感が強いと言える、今回の紺野あさ美の復帰劇。
そしてボクがなにより解せないのは、その裏の経緯はどうあれ、最終的に首を縦に振ったのが紺野あさ美自身である以上、
彼女が、「格好悪くてブサイクな話」の完全当事者となり、その矢面に立たされてしまうという事だ。


何度も言うが、戻ってくる事が悪いのではなく、その在り方が問題なのだ。
事務所は、少なくとも彼女が損をしてしまうような取り扱いをすべきではなかったと思うし、
ファン感情や時流を見極め、時期やその方法論などももっと熟考した上で、
みんなから歓迎や祝福をされるような、復帰の場を与えてやるべきだったろう。
特に、アップフロントの「企業姿勢」が大いに疑問視されている昨今。
こういうボタンの掛け違いから、しっかりと修正していかないと、
熱狂的に支え続けたファンまでをも失ってしまいかねないのではないだろうか。


もちろん、「お帰りなさい」を拒否はしない。
だが、決してスカっと気持ちの良いものでもない。
まさにこの時期の空模様の如き、ジメジメとした復帰劇ではある。

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