383「ちっちゃい身勝手、でっかい損失」



矢口真里、来年1月に電撃結婚?オリコンスタイル)



「何のせいだ」とか「誰が悪い」とか、
今年に入ってからというもの、そんな不毛な犯人探しばかり。
もういい加減うんざりもしているのだが、それでも次から次から、
メンバーのみなさまが、いろんなことをやらかしてくださるもので、
気がつけば、結局また、いやらしく他人のよしなしごとを詮索してしまっている。
本当、まったくパッとしない、ここのところの日々である。
で、そんなパッとしない作業を続けていると、最終的には、いつもこう同じ事を思うのだ。
「そもそもなんでこんな事になってしまったんだろう」と。


華々しくスポットライトを浴びたいという思いを胸に、
自らオーディションを受け、芸能界を志す。運よく才が認められ、芸能人の仲間入りを果たしたならば、
例えそれが気に染まない事であっても、一生懸命に全うしようと努力する。
これは多分だが、最初は誰しもきっとそうなのだと思う。
ところが、ある日を境に突然、「ガマンできないからもうやりたくない」と言って、
自分に与えられた責務を、それが任期の途中であれなんであれ簡単に放棄したり、
様々なものに後ろ足で砂をかけておきながら、それがまるで当然であるかのように、
「私は悪い事などひとつもしていない」と言わんばかりの姿勢を見せる者が出てくるようになる。
そんな社会への反抗に、さぞかしきついペナルティが待っているのかと思いきや、
事務所はそれにお灸をすえるでもなく、まるで他人事のように事務的な対処に終始し、
時間が経っていろいろな事がうやむやになるのを、待っているようにさえ見える。
一体、そんな風になってしまったのは、なぜなのだろう。
事あるごとに、その要因を探るべく、ボクは目の前に落ちている細い糸を、
ゆっくりと手繰り寄せるのだが、ほぼ例外なく、糸はある同じ1人の人物と繋がっていく。
すなわち、一連のゴタゴタの「元凶」とも言うべき存在。
その存在が残した悪しき前例こそが、今のハロプロ危機の全ての要因なのである。


矢口真里の事はもう終わった事なのだ。それは間違いない。
件の彼とは綺麗さっぱり別れたようだし、しばらく剥奪されていたステージで唄うという行為も、
今ではすっかり解禁となり、彼女の周囲には、以前と何ら変わらない時間が流れている。
だが、ボクには、2005年の4月に彼女が起こした「叛乱」の大きな後遺症が、
2年以上経った今になって、ジワリジワリとハロプロ全体を蝕んでいるように思えて仕方がないのだ。


「頭を下げたり、最悪辞めれば、なんだって問題は解決する」
「責任さえ取れれば何をやろうが自由」
「事務所もそれをある程度は許容してくれる」
「ほとぼりが冷めれば、また今まで通りの生活でよい」


彼女が作ってしまったそんな前例が、今のハロプロメンバーの大きな後ろ盾となっているのは、
加護や藤本や辻の事から考えてもも明明白白であり、彼女たちの無責任な行動が招いた、
モラルハザードの行きつく先が、「ハロプロは誰にだって【ヤらせる】」というような、
何とも情けない評判というのでは、こちらとしても非常にやりきれない。
ところが、当の矢口はと言えば、仕事的になんとも順風満帆な雰囲気。
バラエティ要員として、相変わらずの動きを見せている他にも、
雑誌連載。それをまとめた本の出版。歌の仕事なんかも普通にこなしているようで、
記者会見の発言などから見ても、なんともイキイキと仕事をしているように映る。
それが悪い事だとは言わないが、起こっている状況が状況だけに、
「オマエは平和やのう」などと、悪態の一つもつきたくなってしまう。


矢口も含めた「自分に正直」な者たちがいる一方で、己の置かれた立場を理解し、
ある程度の部分までで欲求を自制し、与えられた任務と真摯に向き合う者も、ハロプロには少なからずいる。
もちろん、後者の生き方が絶対的に正しいし、評価ももっとされるべきなのであって、
矢口的な生き方は、どこまでいってもただの身勝手でしかないのだ。
だが、時代がどうとか、気質がどうとか、都合のいいエクスキューズにくるんで、
そういう身勝手な生き方が、巧妙に正当化されつつある事が、ボクは実に嘆かわしい。
そして、そんな身勝手が平然とまかり通ってしまうのが、今のハロプロなのである。


「辛いことは70%でしたね」


その数倍辛かったファンがいるという事を、彼女は知っているのだろうか。

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