356「『(2) mini〜生きるという力〜』〜℃-uteミニアルバム」



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「生きるという力」


こんなものを、10代そこそこの少女たちに教えられる30男というのもどうかと思うが、
10代の少女が、ケレン味のない、無邪気な感情表現で伝えるからこそ、
普段は照れくさくて、面倒くさくて、改めて考えもしないはずだった「生きる」という事の素晴らしさが、
オッサンの苦り切った胸の内に、これでもかとばかり突き刺さるのかも知れない。
今さら、℃-uteの何が良いとか悪いとか、そんな事を語るのはナンセンスだと思う。
まずは、あらゆる先入観を取り去って、彼女たちと対峙してみる。
たぶん、そこから全ては始まるのだ。


ボクは彼女たちの一生懸命なところが好きだ。


℃-uteとしての初期。彼女たちがいろいろなハロメンのコンサートの前座を務めていた時代の話。
たまたま見に行ったなっちのコンサートで、やっぱり結成したばかりの℃-uteが登場した事があった、
出てきてすぐに、一同礼をした後、実にひたむきな感じで、リーダーの矢島舞美が生まれたてのユニットの告知をする。
そして、何曲か唄い終えて、今度はインディーズのCDの告知。それが終わると、また一同が深々とお辞儀。
別に他のハロメンが謙虚に振舞っていなかったという訳ではないのだが、
なぜだか℃-uteのそんな姿がとても新鮮で、その時素直に「応援してあげたい」と感じたものだった。
そのバックボーンとなったものは、お嬢ちゃんたちが健気に頑張っている姿を見て芽生えた、
30過ぎのオッサンの小っ恥ずかしい「父性本能」であったのと同時に、
汚れきってしまった人生の中で、もうすっかり忘れてしまっていた、
10代の若者だけが持ちえる、キラキラと輝く青春のほとばしりへの、ほのかな「憧憬」でもあった。
そしてそれは、モーニング娘。にもBerryz工房にも醸し出せなかった、℃-uteだけが持つ魅力であり、
ボクが、Berryz工房に対してよりも、℃-uteに愛着を感じた所以でもあるのだ。


なにか今回は、実に年寄り臭い内容の文章になってしまったような気がする。
だが、変化のない毎日を様々なストレスの中で過ごし、その身を少しずつ削りながら、
それでも自らを押し殺して生きねばならないボクたち社会人が、
誰しもかつて通ってきた、青春時代における「一瞬の輝き」に思いを馳せ、
当時の甘酸っぱい記憶を脳裏に思い浮かべつつ、浮世の憂さを忘れられるひとときを、
傍らで常に演出してくれるのが℃-uteという存在であり、
ボクらにはもう絶対に表現する事のできない、独特の若さの前には、
やはり、自らのオッサン化を素直に認めざるを得ないというのが本音である。
そして、世のオッサンファンたちにならば、ボクのこんな思いも解ってもらえるに違いないと、
なんとなく、そんな風に感じている。


それにしても、ハロプロの中で最も伸びしろを残す存在で、
若さという燃料を惜しげもなく使える彼女たちだからこそ、
存分に放つ事が可能な無尽蔵なパワーが、「悪い意味で」安定期に入りつつあるハロプロを、
改めて覚醒させる切り札にはならないものだろうか。

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