347「中の人、外の顔。」



中の人Wikipedia



例えばミッキーマウスが、ディズニーランドに集う大勢の衆人環視の目前で、
突如その頭を取り去り、「中の人」を露出させてしまったとしたら。


前例もないので、あくまでこれは推測だが、そんな、夢を壊すような事が万が一起これば、
ミッキーマウスの存在する意義や価値は激減し、博している人気は確実に失墜するだろう。
だから、そんな事が決して起こらぬよう、細心の注意を払って、ミッキーは毎日を生きている。
そしてそれは、ディズニーに関わらず、全てのキャラクター・エンターテインメントにおいても同じこと。
例え現実がどうであれ、「中の人などいない」という姿勢を実直に守り続けなければ、決して成立していかない世界なのである。
同時に、楽しむ側にとっても同じことは言える。
つまり、常識として、中の人が存在するという事を解っていても、それを殊更に意識する事なく、
ディズニーの世界が作り出す「夢」や「幻想」の世界に、先入観なしに身を委ねる。
そうでなければ、本当に心の底からディズニーを楽しむ事などできないし、
逆に言えば、受け手側が、そういう「正しい楽しみ方」を、ここまでちゃんと実践してきたからこそ、
ディズニーというエンタメは、長きにわたって成功を収め続けてきた。
そして、その基本線を両者が決して崩さず、「興醒め」の不安が一切ないというころに、
ディズニーエンターテインメントの真髄を見る事ができるのである。


ボクらが熱狂するハロプロだって、原理は同じである。


別に、そこいらで普通に生活している女の子が、そのままテレビに出たり、
歌を唄ったりしている訳ではない事は、誰しも承知のはず。
確かに以前は普通の女の子だった彼女たちではあるが、一定の手続きを踏んで芸能人という立場となり、
アイドルタレントというキャラクターを身に纏った状態で、今、ボクたちの前にいる。
そしてボクたちは、すでにアイドルとなった彼女たちに出会い、見初め、そして熱狂している。
つまり、本来は、彼女たちの「中の人」の存在を特に意識する必要性など、全くないのだ。
彼女たちは、アイドルとして、与えられたキャラクターを保持する事に精一杯努め、
ボクたちファンは、わき目も振らず、彼女たちのそんな「外の顔」を存分に楽しむ。
アイドルであろうが、ミッキーマウスであろうが、キャラクター・エンターテインメントを
楽しむ為の方法論になんら変わりはなく、まずその世界にドップリと「移入」する事から、全ては始まる。
だから、演者の側が中の人をさらけ出す事も、ファンの側が中の人を覗きたがる事も、
そのエンタメの世界観を崩壊させるという意味で、絶対的なタブーとされなければならないとボクは考える。
だが実際は、興醒めする事しきりの、なんともお寒い話ばかりの昨今のハロプロ
どこかに行っては写真を撮られ。何かをしたら2ちゃんで叩かれ。
確かに、ワキの甘い行動で、中の人を容易く晒け出す嫌いのあるメンバーも良くない。
だが、必要以上の中の人を気にしすぎる「無粋」極まりないファンが多いのもまた事実。
ハロプロのメンバーとボクたちの繋がりは、どこまで行ったところで
「アイドルとそのファン」以上でも以下でもないというのを、改めて認識し直す必要があるだろうし、
メンバーの側もまた、ファンあっての自分たちであるという事をもう一度見つめ直して、
中の人ではなく、外の顔をもっと大事にして欲しいものだと、切実に思う。


100年近い歴史のあるディズニーキャラとは違い、
アイドルというキャラを身につけている時間など、たかだか10年ちょっとの微々たるもの。
まして、自ら志して入った道ならば、さまざまな欲求はひとまず我慢し、
アイドルとしてのプライドが垣間見える、そんな存在となれるよう、
加護ちゃんの一件から、様々な教訓を身につけてもらいたいと願ってやまない。

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