336「ほとぼり」



加護亜依Wikipedia



「ほとぼりが冷めた」という言葉がある。
「ほとぼり」は「熱り」と書き、つまりは冷めきらないで残っている熱気の事を言う。
転じて、人間の持つ激しい感情、あるいは、何か事件が起こった後の世間の関心や噂話などが引いて、
平静を取り戻した状態を、一般的に「ほとぼりが冷めた」と表現するのだが、
そもそも「ほとぼりが冷めた」と判断するのは一体誰なのか。
そして、どういう基準をもって「ほとぼりが冷めた」状態だと言えるのか。
いろいろ調べてはみたが、パッとした答えも導き出せなかったので、ここは実体験から考察を試みてみたい。


実を言うとこのボクも、ついこの間まで「ほとぼり」が冷めるのをじっと待っていた。
それがいかなる「ほとぼり」であったかなんてここで言うつもりもないが、
ボクの場合、それが冷めるまでに、およそ3年の時間を費やしている。
そして、「そろそろほとぼりも冷めた頃だ」とジャッジしたのは、誰あろうボク自身だった。
他人の考えは、所詮他人のものでしかない。身も蓋もない話だが、それが現実。
ある者はボクの事を赦しても、中には「まだまだこんなもんで、ほとぼり冷めたとか言ってるんじゃねぇ」
なんて、そんな風に思っている者も少なからずいるだろうとは思う。
つまり他人にその判断を委ね続ける限り、100%ほとぼりが冷めることなどあり得ない訳で、
冷めたか否かのボーダー設定は、最終的には自分自身しか成し得ないのではないかとボクは思っている。


「悪さ」をして叱られ、謹慎処分を科せられた加護亜依のインタビュー記事が載った。


実家で華やかさとは無縁の生活を1年近く送り、今年になって東京に戻った彼女は、
所属事務所でお茶汲みをしながら、社会人としての経験を積んでいるのだという。
彼女は、今まさに「ほとぼりが冷める」のをじっと待っているところであり、
どのタイミングで、再び元の生活に戻ろうか、その機をじっと窺っている感じがする。
まあ、どういう時期や形であっても、芸能生活を再開させるにあたっては相当の向かい風を覚悟せねばならないだろうが、
いずれ「ほとぼりは冷めました」と、彼女自信(と取り巻くスタッフ)が宣言する日は必ずやってくるだろうし、
他の人間の事はともかく、ボク個人としては、その時を心待ちにしている。
これまでも謹慎したメンバーはいたが、ほとぼりが冷めたとも言いにくい早いスパンで、必ず表舞台に戻ってきた。
事務所側とどういう折衝があったかは知らないが、彼女だけそれが叶わないのというのもおかしな話で、
タレントとしての腕が落ちないうちの彼女の復帰は、ハロプロそのものにも必ずプラスになるはずである。


彼女と写真週刊誌と言えば、まだデビュー間もない頃、彼女の父親についての不名誉な記事が出回り、
その釈明を誌面上で、幼い彼女自身が行ったという事があって、その出来事をふと思い出したりした。
あの頃から彼女は、こういう境遇にあったのだと考えると、なんというか、ちょっと可哀想にも思えてくるし、
あれ以降、さまざまな「事件」が巻き起こっていながら、
全く姿勢が変わらないアップフロントの在り方には苦笑を禁じえない。

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