334「モーニングとモーニング」



モーニング娘。Wikipedia



一昨日はああ書いたものの、ぶっちゃけた話をすれば、
最近ではモーニング娘。というグループに寄せる思いが、以前とはずいぶん変わってきたのを実感する。


例えば、新曲が出ると聞けば、どんな曲なのかがずっと気になり、オンエアの解禁が待ち遠しくて仕方がなかったし、
モーニングのテレビの出演情報があれば、テレビ誌などで事前にチェックは欠かさず、
その日だけは何があっても早く帰れるように万難を排して、
帰れば番組は見ながらビデオもちゃんと録って、後から何度も何度も見返す。
そんな、ドキドキ感と充実の日々がずっと傍らにあった事を思い返せば、今の自分はものすごく淡白になったと思う。
なにせ10年前の黎明期からの付き合い。ポジにしろネガにしろ、ありとあらゆる事は起こり尽くして、
もはや些細な事に一喜一憂するほどのものでもなくなったというのも少なからずあるだろうが、
よく考えてみればあの頃とはずいぶん風景も違う訳だし、
グループがターニング・ポイントを迎える度ごと、「気持ちも新たに」は常に意識してきたから、
モーニング娘。そのものに飽きてきたとか、熱狂する情熱を失ったという事ではたぶんないのだと思う。


自己分析してみて思い当たったのは、ファンとして「豊かになり過ぎた」という側面である。


あの頃からすれば、物心ともに、ファン環境は格段に良くなった。
インターネットの技術進歩と普及はさらに進み、メディアに関するあらゆる事は、PC1台でまさに何でもできる時代。
どこかのラジオで新曲が解禁されれば、ものの数十分もたたないうちに、
それをエアチェックしたものがデータとしてネット上に流れる。
テレビ番組も同様。メンバーの出演する番組情報はメルマガで手元に届く。
それをザッと見渡し、見られるものは見るとして、見られないものや見逃したものも、
どこかに必ず動画がファイル上がっているので苦もなく捕獲できるし、
そればかりか、普通では見られないような、ローカル番組や、衛星の番組、あるいはネット配信の番組なども、いとも簡単に視聴は可能だ。
張り切って帰宅する必要もなければ、録画予約の失敗に不安がる事もない。ネット万能の時代かくありけりだ。
物質面だけではない。センターステージ方式のコンサート、FCツアー、あるいは激増した握手会など、
モーニング娘。とファンとの距離は、時間の経過とともにどんどんと縮まり、
特に彼女たちがブレイクした数年前にあった、「スターとそれをとりまくファン大勢」的な趣きの関係性は影を潜め、
今ではお互いが、その存在をリアルな物に感じるようになった。
そして、ファンでいる事が「夢物語」ではないと実感できる今では、
モーニング娘。という存在が、ボクらファンの心の中でさらに大きなものとなっている。


こうして見れば、今の豊かさの中に、何も悪い要素はないようにも思えるし、
そんな豊かさを苦もなく享受できているからこそ、ファンとして、今でもちゃんとやっていけてるのかも知れない。
だが、その場に居ながらにして、手を伸ばせば何でも手に入る時代の到来は、
ボクの中から「がむしゃらさ」「必死さ」を奪っていったようにも思える。
別にファンとして必死にやってるから偉いのだとか、そんな傲慢を言うつもりはない。
ただ、おいそれといろいろな物が手に入らなかった時代、なんとか「ファン欲求」を満足させたいと、
あくせく動き回り、時には汗を流して、ようやく成果を手に入れた時に得られた喜びの味と、
「まあ後から落とせるから別にいいや」というような、言わば保険ありきの姿勢に、
同じだけの価値はおそらくないと思うし、後者の思考というものがごく一般的になった今、そしてこれから、
それでも、ファンとして一定のアイデンティティを保ち続ける事ができるものなのか。
添い遂げると誓ってひたすらに走り続けてはいるが、正直、不安は募る。


豊かになった時代を変える事が不可能なら、それを享受している自分を変えるより他ない。
ファンであると標榜するうちは、なるべく己の手足を使うように心がけ、
時には、「何でも手に入る」という、現代の素晴らしいメリットにも助けてもらいながら、
それでも決してメリットに誘惑されたり、必要以上に甘える事なく、
達成感や充足感やドキドキ感を、常に味わえるような日々を過ごしたいと切に願う。


まだ初々しかった、ファンとしての夜明けの頃のように。

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