311「Farewell2006 Jan.→Apr.」




2006年は、果たしてハロプロにとってハッピーな1年だったのだろうか。
ボクにの個人的な答えは、残念ながらNOである。


もちろん、ハッピーな出来事に笑顔した事もあったが、同じ分だけアンハッピーな出来事も相次いだ。
いや。体感的には、むしろアンハッピーな事の方が多かったような気さえする。
もろもろトータル差し引きプラマイゼロか、下手をすればそれ以下。
なんとも後ろ向きな結論で申し訳ないが、今、改めて年の初めから春先までの出来事を眺めてみれば、
そんな風にネガティヴになってしまうのも、無理からぬ話というものである。


大した「重大発表」等もなく、実につつがない感じだった新年の幕開け。
まずはなにより…と、安堵のため息をついたその矢先に、
何の前触れもなく、まず飛び込んできたのが、後藤真希ダウンの第一報だった。
目前に控えたレビュー公演に代役(柴田あゆみ)を立てるまでの緊急事態となり、
結果的に、それから1ヶ月以上にもわたる療養を余儀なくされた、まさにアクシデントだった。
そして、それからわずか数日後。今年最大のクライシスと言っていい、
あの忌まわしい「事件」は起こってしまったのである。


考えてみれば、もうすぐ1年。
次から次へと新しい物が提示され、そういうものに夢中になっているうち、
気がつけば、彼女がいないハロプロに違和感を持つ事など、ほとんどなくなってしまった。
当時あれだけ大騒ぎしていたのがまるで嘘のように、
彼女抜きのハロプロは、今やボクらの中で当たり前の事になりつつある。
あれ以降、ハロプロ内が引き締まった雰囲気になったかと言えばそういう訳でもないようで、
秋には、ストーカーまがいのファンに、男性と一緒のところを写真に撮られたメンバーが、
またもやファンを置き去りにハローを去っていったりもしたし、写真週刊誌にプライベートを撮られたメンバーもいた。
「バレなきゃOK」はボクの持論だが、バレるバレない以前の問題として、
自らの置かれた立場と状況。そして「自分は一般人とは違う」という自覚を持つ事の重要性。
そして、何か事が起こる前に、まず己を律するという一種の自制心。
そんな芸能人としての「責任」を、まずは重く自らに課さなければならない。
問題はストーカーの良し悪しでも、写真週刊誌の在り方でもなく、
たくさんのファンに支えられているからこそ、今の自分は生かされているのだという事を、
身をもって感じられているかどうかなのである。
プライベートでハメを外す事が、今の自分にとってメリットとなるのかどうかをまず内省的に考え、
それでもなお、遊びや恋愛で精神安定を図らなければならないのであれば、
バレてややこしい事にならないように、細心の注意を払う。
何度でも言うが、それはなにも彼女たちの人間性を殺そうというのではない。
彼女たちに与えられた、それが「生きる道」なのだ。


ボクは彼女たちのイエスマンでありたいし、絶対的に彼女たちの味方でありたいと思う。
だが、同時にお客として、言うべきところは言わねばならない。
なぜなら、彼女たちを生かしているのは、ボクたちに他ならないのだから。


そんなことを思いながら、それでもなんとか楽しげにいた4月の終わり。
いつものように、何の前触れもなく、新しい別れの知らせは届くのだった。
しかも、今までになかった衝撃とともに。

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