308「『リボンの騎士』とは一体なんだったのか〜エピローグ」



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今、これで緞帳は下りた。まだお客様は帰ってない。
でも、リボンの騎士はどこに行ったかというと、もうどこにも無い。
形としてのリボンの騎士はもうどこにも無い。もう一回繰り返そうとしてももう無いんだ。これが演劇。
でも、じゃあ完全になくなったか?といったらそうじゃない。
みんなの心の中に残ってる。それが演劇の感動なんです。
1回こういう感動を得たらば、お客様というのはずっと墓の中まで持っていく。
お爺さんお婆さんになるまで、
「あの舞台は良かった。未だに忘れられない。細かいことは忘れてても、本当に良かった」っていう。
これがみなさんが生きてきた舞台という空間なんです。
それを最後にみなさんにお伝えしたくて、この席を借りました。
みんなの心の中にも、いつまでもこの公演が心に残ること。
同じように、演出家から最後の言葉です。
「僕も、みなさんのことは忘れません」




10年近い歴史を積み上げてきた、モーニング娘。のこれまでの活動の中で、
我々が墓の中まで持っていけるような「感動」というものが、果たして存在しただろうか。


別に卑下するつもりなんてないのだ。ボクたちがこれまで見てきたすべてのモーニング娘。は、
どんなシチュエーションでも絶対的に輝いていたし、だからこそボクたちはここまでやってこれた。
だが、木村氏がカーテンコールを終えた舞台でメンバーや我々ファンに放った、圧倒的な説得力を持つ「本物」の舞台論は、
その言葉を聞いた者全ての心に、大きく深く突き刺さったに違いない。


ボクは別にモーニング娘。が「本物」足りえる必要は全くないと思っている。
あんな息の詰まるようなクオリティのパフォーマンスばかりやられていては、こっちの身が持たない。
時には素人臭くてもいい。音痴全開でも構わない。むしろ本格派には出せない「らしさ」がいつまでも垣間見える。
モーニング娘。には、そんなグループでいてもらいたいと心から願っているのだ。
だが、立ち止まらない事がアイデンティティである彼女たちとの触れ合いは、
必然的に1曲とか1公演という刹那的な単位に彩られ、心にズシリと重く残る、
木村氏の言うような、大きな感動を味わう事もままならない日常に、
少し虚しさを覚えるというのも、またひとつの真理なのだ。


リボンの騎士とは一体なんだったのか。
ボクは、「感動」について、改めて考えさせてくれる場であったと今は思っている。


全速力で突っ走るモーニング娘。を、こちらも全速力で追いかけるあまり、
感動するという行為が、かなりおろそかになっている昨今。
木村氏が言った「墓の中まで持っていける」ような感動を、
今後モーニング娘。と共に生きる時間の中で、果たして手にする事ができるのか。
そして、感動を手にした時。その先に見えるものとは。


さまざまな思いを胸に秘めながら、今宵もボクは再生ボタンを押すのである。

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