305「『リボンの騎士』とは一体なんだったのか〜第1場」



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作品の本質部分に触れる前に、
まずは8月に書いた、#256「不遜」に関して語っておく必要があると思う。
当該コラムは、リボンの騎士を手がけた宝塚歌劇団の演出家・木村信司氏が、
作品に関するインタビューで語ったある言葉に、強い引っかかりを感じたという旨を記したものであり、
読者諸氏から「さすがに言葉が過ぎるのでは?」なんていうコメントを頂いたりもした、いわくつきの回である。
実際に観劇したりDVDを見たりした事で、あの当時から比べると、
作品に対する考え方は、確かに変わっただろうが、
木村氏のあの発言の印象については、実のところあまり変化はなかったりする。


木村氏の中に「所詮アイドル」という思いはあったに違いないと、今でもボクは強く思っている。


なにせ、彼が普段相手をしている宝塚のスターたちは、言ってみればエリートの集まり。
何十倍もの狭き門である専門学校に入り、そこでみっちりと英才教育を施され、
類まれな歌と踊りの能力は備わって当り前。そこからがスタートラインで、
激しい競争を勝ち抜き、トップスターという明確な最終目標を目指して、
血の出るような切磋琢磨をするというのが、宝塚の団員たちだとするなら、
努力も才能も、タカラヅカに比べるとその量が随分と足りない印象のアイドルタレントなど、
「格下」だという意識があったって、何ら不思議ではないし、
ボクが同じ立場なら、きっとそんな風に感じるのではないかとも思う。
「いやキムシンはそんな事を考えたりするような人ではない!」と、
ボクの意見に拒否反応を示す人がいるならそれは仕方がないが、
少なくとも「宝塚と同じクオリティで物が作れる」とは、彼も思っていなかったはずであり、
そういうカテゴライズというか、線引きの思想のようなものに、当時のボクは大いに引っかかったものなのだ。
だが、今回DVDを通じて作品に再度触れてみて、
自ら考えを間違いだったと認める事はないにせよ、思考はいささか浅過ぎたと言わざるを得なかった。


アイドルなんて本物じゃない。だけど、そんな存在であってもボクの手にかかれば、
間違いなく「魅せる」存在に仕立てあげられる。そういう自信がある。


実は、リボンの騎士という作品が放つ、とてつもない感動の根底にあるものは、
木村氏が、天下のタカラヅカの演出家であるというプライドを胸に携えて挑んだ、
そんな「挑戦」の結実ではなかったかと、今、ボクは感じている。
本当に彼はアイドルという存在を下に見ていたかも知れないし、
上に書いたような彼の挑戦は、やはりちょっと鼻につく部分がなくもない。
だが、プロの演出家として、才色兼備のヅカジェンヌも、一長一短のアイドルタレントも、
演出の上には立場は皆平等であり、例え素材がどんなものであっても、
ちゃんと評価されるべきものを作り上げ、そして絶賛を浴びる事だけが全て。
そんな、プロとしてあるべき姿勢を全うし、観客をあれほどの感動の渦に巻き込んだ、
木村信司という一人のプロフェッショナルの真の実力を、ボクは余りに知らな過ぎた。
もちろん、当時書いたコラムを「これは間違いでした」と取り下げるつもりはさらさらないし、
持論にはいつまでも自負を持ち続けたいと思ってはいるが、
「心で感じること」と「目で見て感じるもの」のギャップを埋める努力は、
絶えず怠らないようにせねばと、今、強く感じている。


そんな、木村演出の真髄。
ボクの中に浮かぶのは、主人公のサファイア高橋愛よりも、
むしろ「彼女」の方なのである。

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