288「『歩いてる』〜モーニング娘。31thシングル」



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これまでおおっぴらには言ってこなかったのだが、
実は、ここ数作のモーニング娘。のシングルに関して、
何となくではあるが「作り込み感」に乏しいというような、そんな印象を拭えずにいる。


いい曲かそうでないかと問われれば、いい曲であるのは、もちろん言わずもがなである。
ファーストインプレッションの芳しくない楽曲も確かにあったりしたが、
何度も聴くうち、曲への印象は確実に変化した。
その上で、「モーニングに駄曲ナシ」は、ボクの揺るぎない持論でもある。
だが、そんないい楽曲に触れているにも関わらず、
心の充足感はさほどでもない…と感じる事が、特に最近多くなったような気がするのだ。
もちろん、緻密に作り込みさえすれば、
それだけで、誰もが満足する良曲が出来るなんていう傲慢は言わない。
だが、ここのところのシングルの楽曲を聴いていると、
なんと言うか、すごく平面的とでも言おうか、
以前のモーニング娘。ならば確かに持っていた「厚み」のようなものが、
すっかり影を潜めてしまっている感じなのである。
今回のシングル『歩いてる』もまたしかり。
いいメロディにいい詞が乗っかって、紡がれる楽曲は実に心地いいし、
今後シングルやコンサート会場で、幾度となく耳にするうちにきっと、
その良さを実感していくことになるだろう。
だが、最近のシングルにありがちだった楽曲の平面感は今回もやはり健在だった。
人数が減ったからという、物理的な要因ももちろんあるだろう。
だが、それだけでは決して結論付ける事のできない微妙な変化が、
あるいは、モーニング娘。に訪れているというのだろうか。


一つ考えられるのは、「没個性」という側面。
個々の歌唱力もそうだが、声質的にも、均一化傾向にあるのではないかと感じるのである。


それは別に声色が似ているとか、そういう事ではない。
歌唱力の有無や、声質の如何に関わらず、目立つ声の持ち主というのは過去必ずいて、
そこがアクセントになって、楽曲に奥行きを作り出していたりしたものである。
今のモーニング娘。を見渡せば、数人は個性派の片鱗を見せる者もいるが、
基本的には、ベーシックな部分を逸脱する事無く、
プロデューサーの歌唱指導の通りに、歌をそつなく唄い込んでいく。
無論、それはそれで一向に構わないのだが、
どのメンバーも満遍なく、同じようなスタンスで歌に臨むというあたりに、
何とも言えない物足りなさを感じずにはいられないのである。
もちろん、それが楽曲の凹凸を感じられなくなった理由の全てではないだろうが、
良くも悪くも「フツー」になっていかんとしている、現在のモーニング娘。に、
あとワンパンチ必要なのは、どうも間違いなさそうである。