277「『うらら』〜中澤裕子11thシングル」



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ボクが常々思っているのは、
モーニング娘。を卒業したメンバーに、もっと唄わせろという事なのである。


定期的にCDのリリースが約束されている者もいるが、
毒にも薬にもならないような体のいいバラエティ要員だったり、
作り手側が売り出したい、他のメンバーやユニットの引き立て役に甘んじたり。
「タレント」などという安っぽい響きのする立ち位置へと流れついてしまっている者も少なくない。
確かにファンクラブ向けのイベントや、夏冬のハロコンでは歌が堪能できなくもないが、
それはあくまでもスポット的なものであって、
継続的に歌の仕事をしている者が全てかというと、決してそうではない。
それが芸能人として生き残る術だと言われてしまえば、
こちらとしてはどう反論することもできない訳だが、
もしも、それだけで残りの芸能生活が完結していってしまうとするのならば、
それはあまりにもったいない話ではないだろうか。


仮にも「歌」が活動の生命線であるモーニング娘。のメンバーだった者たち。
グループ時代は、例えどんな状況であっても、歌に関する仕事だけは決して途切れさせず、
いい歌を表現するという事を、ただひたすらに求められてきた。
そんな彼女たちから、ほとんど歌声が聞こえてこない現状というのは、
寂しいというよりも残念でならない。
メジャーレーベルからのCDリリースが営業的に無理だというのなら、
自前で運営している、えがお通販などを使って、
本当に聴きたいと思っている者だけにCDを販売すればいいと思うし、
歌番組に呼んでもらえないというのなら、
インターネットで、歌う姿を配信できるコンテンツを持てばいい。
旧態依然とした、既存のルールに捉われず、さまざまなメディアを多角的に利用して、
「歌を唄う」という事が、卒業したメンバーの活動の拠り所となるような、
確固たるシステムを作るべきだとボクは強く思う。


閑話休題


中澤裕子が、CDをリリースした。
関西ローカルの仕事や、小さな舞台への出演だったり、
また、夏にエルダーでのライブがなかったりした事の影響か、
ここ最近、ハロプロの表層部分では、少し目立たない場所にいることの多かった彼女。
軽薄な響きのタレント稼業であれなんであれ、居場所があるという事は結構だが、
本来の彼女の持つタレント性を考えれば、今の活動にはちょっと物足りなさを感じたりもしていた。
そんな時に聞いたこのニュースは、その字面以上にとても大きな意味を持っていると思う。


中澤裕子もまた、「唄う」ということを大切にしてきた一人であり、
今はどんなに安い仕事に甘んじていたとしても、
「歌」という、自らが帰ってくる場所があるからこそ、彼女が彼女でいられる。
彼女が定期的にCDをリリースする事は、本人のアイデンティティはもちろん、
同じ境遇にいる他の卒業メンバーに向けて送る、
「何があっても歌への思いを忘れずにいれば、きっとまた、歌で自分が輝ける日が来るのだ…」
という力強いメッセージのようにも思えるのである。