266「ふたつの魂。ふたつの心。/おもてがわ」
ガラスのような繊細な心を苛む、「ふたつの魂」をめぐる葛藤。
説明するまでもなく、それは『リボンの騎士』という物語全体を貫く大きな命題。
主人公・サファイアの心を掻き乱した、言葉にもならぬそんな苦しみが、
後にも先にもこれ一回。一発勝負で千秋楽公演に臨んだボクの胸中に、
よもや飛び火してくるとは、想像だにしていなかった。
あれから数日。このコラムの為に、あのミュージカルについて、
何らかの言葉を紡がねばと、あれこれ思いを巡らせてはみた。
だが、考えれば考えるほどに、ボクの心は千路に乱れ、
そして、どんどんと袋小路に迷い込んでいく思考は、幾度となくフリーズするのだった。
作品の完成度の高さ。そして、確かに得られた大きな感動。
率直な賞賛を心から表現せねばと、ボクの中の「ひとつの魂」は主張する。
一体全体、どこまでの事ができるというのか。
正直なところ半信半疑だった。
「手塚治虫の不朽の名作」
「タカラヅカと夢のコラボレイト」
「新宿コマでの1ヶ月興行」
はっきり言って、そのどれらのキーワードとも、
ボクの中にある「モーニング娘。のミュージカル」というもののイメージは、
まったくリンクしなかったし、実際、いろいろなものを目にするまで、
ボクが抱いていたのは、なんとも言えぬ違和感だけ。
あまりに大きく広げられすぎた風呂敷の中に、
モーニング娘。という個性がすっぽり埋もれてしまうのではないか。
少なくとも、過去の彼女らのミュージカル作品のクオリティを考えれば、
大成功というグッドラックに対しての、少なからぬ猜疑心はやむを得ぬところだった。
そんな不穏な印象を払拭する為にも、本来ならばもっと早い段階で、
一度くらいは作品を観ておくべきだったとは思う。
だが、敢えてそれをしなかったのは、この舞台の「本質」を見つめたかったからに他ならない。
宝塚歌劇という「異種血脈」が、それも色濃く注入されるという点において、
それまでのミュージカル仕事とは、全く異なる形態に挑んだモーニング娘。
それ専門にみっちりと稽古を積むタカラジェンヌとは違い、
総合職たる彼女たちは、さまざまな種類の仕事と平行して、稽古に臨まねばならない立場。
しかも、脚色こそ彼女たち用にアレンジされているものの、
作品自体は、彼女たちを想定して作られた、いわばモーニング専用でもない。
置かれた状況は圧倒的に厳しく、無限の可能性を秘める彼女たちであると解ってはいても、
「本当に大丈夫なの?」の思いは、失礼ながら拭いきれなかった。
だが、初日の幕が開き、アップされていくレヴューを読むと、これが賛辞ばかり。
少しくらい意地の悪い意見があってもよさそうなものだが、
ザッと見た中では、ほとんどそれらしき感想は見当たらなかった。
ボクの浅はかな予想に反して、あの状況下、実にすばらしい物を作り上げたのだな…と、
少しの安堵感を抱いたのと同時に、ボクのよく知るモーニング娘。が、
観る者全てを感動させているという舞台のクオリティとは、いかなるものなのか。
冷静にそれを見極める為にも、作品に安易に情を移さぬよう、複数回の観劇を避け、
舞台が熟しきった、最終公演に全てをかけようと思ったのである。
そして、千秋楽の舞台。
作品が、圧倒的に素晴らしかったのには違いない。
だが、それは決してイレギュラーな事ではなく、ある部分では予想できていたと言っていい。
あれだけの脚色、演出、そして助演が揃い、
クオリティの高くないものが生み出されるはずなどなく、
作品として素晴らしいものになるであろうという事は、
浅はかなボクにも、実は初めから解っていたりした。
つまり、そんな作品を演じるだけの、力が、モーニング娘。というグループに
備わっているのか。あるいは今回の舞台を通して備わったのかどうか。
それが、ボクの見極めたかった本質の全てであり、
結果、モーニング娘。というグループをあまりに見くびりすぎていたという事を、
改めて痛感せずにはいられなかった。
だが。ボクの中の「もうひとつの魂」が、
湧き上がる感動に打ち震えるボクに、そっと囁くのだった。
《これはあくまでも「モーニング娘。のミュージカル」なのだぞ…》