244「シアワセってなんだっけ?
幸せってなんだろう? 最近、ふとそんな事を考えるときがある。
人が普通に生きていれば、幸せを感じる瞬間なんて、そこかしこに転がっているものだ。
自動販売機でちょうどの小銭を入れたはずなのに、なぜか返却口からチャリンと音が聞こえたとき。
密かに「いいな」と思ってる異性から「アドレス教えてよ」と言われたとき。
小さな頃、美味しくて大好きだけど、兄弟のせいで少ししか食べられなかったお菓子を、
お金が自由になった今、大人買いして独り占めしているとき。
車に乗っていて、信号に一回も引っかからずに目的地に着けたとき。
もちろん、ハロプロのファンになってからだって、幸せを感じた瞬間はきっと多いだろう。
コンサートのチケットが殊のほか良席だったとき。
ラジオで自分の投稿したお便りが採用されたとき。
そして、ハロプロを通じて得た仲間と共に、大好きなハロプロについて語り合っているとき…
確かに、充足感と優越感に浸れる瞬間ではあるけど、ボクは思うのだ。
それって、本当の意味での幸せなのか? と。
いや、幸せであることに違いはないのだけれど、たぶん全ては「ささやかな幸せ」。
それがダメだって訳じゃなく、人生において、本当の意味での幸せっていうのはきっとあって、
それはもっと違う部分に、実は隠れているのではないだろうか。
そして、その本当の幸せを掴む事こそが、人が長い一生を生きていくための目的のような気がするのだ。
じゃあ本当の幸せたぁ、いったいどこの何なんだ!とか問われてしまうと、
まだ人生を30年と少ししか生きてないボクにだって、それは解りっこない。
でも、ハロプロやモーニング娘。という存在をつぶさに観察し、愛し続けていると、
本当の幸せとは何か、という命題のヒントがおぼろげに見えてくるような気がするのだ。
写真誌で、加護ちゃんが実家に帰って暮らしている姿を見た。
もちろん、彼女にはいち早くハロプロに帰ってきてもらいたいし、
やっぱり彼女にはタレントという職業が似合っている。
でも、あの写真を見ながら、芸能界での栄華を掴む事も幸せかも知れないが、
今現在、一人の女性として奈良に暮らす彼女にとっては、
平穏無事に、普通の生活をする事もまた、数ある幸せの大事な選択肢の一つだろうし、
彼女にとっての本当の幸せがどちらなのか、それは誰にも解らないのである。
本当の幸せというものは、そう簡単に決め付けられるものではない。
その真理を思い知らせてくれたのが、誰あろう矢口真里である。
自らの想いに正直に生きようと、全てを擲って走り出したあの日から1年と3ヶ月。
当時の彼女の中にはっきりと見えていたものは、おそらく本当の幸せの形だったに違いない。
けれど、結果として、それが本当の幸せではなかった。
いわば「早とちり」で、多くの物を失ってしまったのは、非常にもったいない事だったが、
惑わしの対象が取り払われた今なら、彼女はきっとがんばって、
次こそ、本当の本当の幸せをその手に掴むことだろう。
そして、人生の岐路に立つ、紺野と小川。
芸能界を去り、第2の生活をスタートさせる決断をした二人にとって、
果たしてその選択肢こそが本当の幸せなのか。
あるいは、もっと他の部分において、本当の幸せというものは存在するのか。
でも、結果として彼女たちが満足する生き方なのだとしたら、
それが、彼女たちにとっての本当の幸せなのかも知れない。