244「シアワセってなんだっけ?



幸福Wikipedia



幸せってなんだろう? 最近、ふとそんな事を考えるときがある。


人が普通に生きていれば、幸せを感じる瞬間なんて、そこかしこに転がっているものだ。
自動販売機でちょうどの小銭を入れたはずなのに、なぜか返却口からチャリンと音が聞こえたとき。
密かに「いいな」と思ってる異性から「アドレス教えてよ」と言われたとき。
小さな頃、美味しくて大好きだけど、兄弟のせいで少ししか食べられなかったお菓子を、
お金が自由になった今、大人買いして独り占めしているとき。
車に乗っていて、信号に一回も引っかからずに目的地に着けたとき。
もちろん、ハロプロのファンになってからだって、幸せを感じた瞬間はきっと多いだろう。
コンサートのチケットが殊のほか良席だったとき。
ラジオで自分の投稿したお便りが採用されたとき。
そして、ハロプロを通じて得た仲間と共に、大好きなハロプロについて語り合っているとき…
確かに、充足感と優越感に浸れる瞬間ではあるけど、ボクは思うのだ。
それって、本当の意味での幸せなのか? と。
いや、幸せであることに違いはないのだけれど、たぶん全ては「ささやかな幸せ」。
それがダメだって訳じゃなく、人生において、本当の意味での幸せっていうのはきっとあって、
それはもっと違う部分に、実は隠れているのではないだろうか。
そして、その本当の幸せを掴む事こそが、人が長い一生を生きていくための目的のような気がするのだ。
じゃあ本当の幸せたぁ、いったいどこの何なんだ!とか問われてしまうと、
まだ人生を30年と少ししか生きてないボクにだって、それは解りっこない。
でも、ハロプロモーニング娘。という存在をつぶさに観察し、愛し続けていると、
本当の幸せとは何か、という命題のヒントがおぼろげに見えてくるような気がするのだ。


写真誌で、加護ちゃんが実家に帰って暮らしている姿を見た。
もちろん、彼女にはいち早くハロプロに帰ってきてもらいたいし、
やっぱり彼女にはタレントという職業が似合っている。
でも、あの写真を見ながら、芸能界での栄華を掴む事も幸せかも知れないが、
今現在、一人の女性として奈良に暮らす彼女にとっては、
平穏無事に、普通の生活をする事もまた、数ある幸せの大事な選択肢の一つだろうし、
彼女にとっての本当の幸せがどちらなのか、それは誰にも解らないのである。
本当の幸せというものは、そう簡単に決め付けられるものではない。
その真理を思い知らせてくれたのが、誰あろう矢口真里である。
自らの想いに正直に生きようと、全てを擲って走り出したあの日から1年と3ヶ月。
当時の彼女の中にはっきりと見えていたものは、おそらく本当の幸せの形だったに違いない。
けれど、結果として、それが本当の幸せではなかった。
いわば「早とちり」で、多くの物を失ってしまったのは、非常にもったいない事だったが、
惑わしの対象が取り払われた今なら、彼女はきっとがんばって、
次こそ、本当の本当の幸せをその手に掴むことだろう。


そして、人生の岐路に立つ、紺野と小川。
芸能界を去り、第2の生活をスタートさせる決断をした二人にとって、
果たしてその選択肢こそが本当の幸せなのか。
あるいは、もっと他の部分において、本当の幸せというものは存在するのか。
でも、結果として彼女たちが満足する生き方なのだとしたら、
それが、彼女たちにとっての本当の幸せなのかも知れない。