237「歌ごころ、永遠に」



前田有紀(オフィシャルサイト)



ネイティヴ・イングリッシュの4人組。
裸馬を乗りこなしたり、犬ぞりレースに命を賭けたりしている者。
やたらちっこくて、やたらうるさいグループ。
なぜかは知らねど童謡のおねーさん。
そして、アイドル集団の中にぽつり存在する、本格的演歌歌手。


ボクは、今も昔も変わらずにハロプロの事が好きだが、
昔に比べ、集団が没個性化してしまった側面というものは、少なからずあるだろうと思っている。
何も小難しい話ではない。例えば「変なガイジンのグループ」とか
「なんか牧場で働きながら芸能人やってるヤツら」とか、
在り方はどうであれ、そのキーワードだけで誰の事かが解ってしまうような、
記号的要素を含んだグループやメンバーが、以前のハロプロには多かった。
そして、そこからハロプロという名前がイコールで繋がり、
「ああ、あのハロプロの童謡の人…」とか「ミニモニ。って、ハロプロの…」というように、
ハロプロとそのメンバーの知名度は紡がれていった。
そういう、ごった煮のような集団だったからこそ、ボクたちは楽しかったし、
どっぷりと彼女たちにのめり込んだりもしたのだと思う。
だが、そんなシンボリックな存在が、一つ消え、二つ消え、
気がつけば、今のハロプロは、ごく普通のアイドル製造工場になった。
泥臭い企画モノ的要素は淘汰され、センス良く洗練された集団への変革。
ボクは、決してその状況がイヤという訳ではないし、
それがメジャーになるという事なのだ、と言われてしまえばそれまでだったりするのだが、
なんというか、当時の楽しさをなまじ知ってしまっているだけに、
没個性化の状況を、少し寂しく感じてしまうのは仕方のないところなのかも知れない。


今回、前田有紀ハロプロを去る事で、ボクの感じる没個性化の流れは
ほぼ決定的なものになったと言っていいと思う。
演歌歌手という、集団の中での異質な立ち位置はもちろんの事、
「歌の上手さ」という、ある種ハロプロにおいては、最も強い個性となるであろう
スキルの持ち主が、集団を離れていくという事は、
ものすごく大きな事なのではないだろうかとも思うのだ。
それは別に、他のメンバーの歌に不安があるという意味ではなく、
前にも書いたような気がするが、レコーディングのテクニックや、
ライブでの「口パク」など、ギミックが当たり前のアイドル歌謡の中で、
彼女が見せてくれていた「本物の歌」の迫力こそ、
ハロプロのメンバー全員に見習って欲しかったお手本であり、
例えハロプロに演歌はいらない、という大勢の声があったとしても、
彼女がハロプロに存在している意味は、とても大きかったとボクは感じている。


今年のスポーツフェスティバルのライブ。
東京きりぎりす』のイントロが流れた瞬間の、
あのゾクゾク感は、残念ながらもう味わう事ができない。
だが、彼女が確かに残した「歌ごころ」は、
これから先も、ハロプロの中ににずっと生き続けていくことだろう。