233「『ガラスのパンプス』〜後藤真希15thシングル」



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ガラスのパンプス』のスタジオライブを見た。


どのような楽曲とビジュアルであるか、
本人のコメントを通してある程度知っていたりもしたので、
初見ではあっても、驚きや衝撃といったものは特段感じなかった。
だが、まじまじとテレビの画面を見ながら
後藤真希は本当にこれでいいの?」と、思わず呟かずにはいられなかった。
もちろん、彼女の行く道を否定するつもりは全くないのだが、
もしも、今回の曲の世界観が、彼女の今後の活動の規定路線となるのであれば、
一生懸命な彼女には大変申し訳ないとは思いつつ、
その前途に、ボクは大いなる憂いを抱くことになるであろうし、
事実、後藤真希のタレントイメージは、そういう方向に流れていきつつある。


今期の、後藤真希キャプテン公演ハロ☆プロ パーティ〜!
実際に目の当たりにした者ならば、『エキゾなDISCO』における、
彼女のパフォーマンスには、大なり小なり驚かされた事だろうと思う。
マイクスタンドにスラリと伸びた脚を絡め、艶めかしく腰をグラインドさせる様は、
さながら、ストリッパーの演ずるポールダンスそのものであった。
今ではエクササイズにも用いられるようになったポールダンスだが、
その動きや全体の雰囲気を考えてみた時、そこにあるのは、やはり性的なイメージだ。
楽曲の怪しげな雰囲気からの連想なのだろうが、
なんというか、そういう度を越えたセクシャリティを彼女に見せ付けられた時、
ボクたちファンは、それをどういう心持ちで受け止めれば良いものなのか。
下品な嬌声をあげるのか。あるいは、何も言わずに凝視するのが相応しいのか。
ただ、難しい事を考えずとも一つだけ言えるのは、後藤真希には、
そういう、安易なセクシャリティを売り物にする世界は似合わないという事である。


しかし、そうは言いながら、彼女が露出の多いセクシー路線に進み行くのも、
ある意味では仕方がないのかなとも、ボクは思ったりするのだ。


ハロプロのソロ3本柱を考えてみる時、
ビジュアルも歌も鮮やかで派手なイメージだった「あやや」というキャラから脱却し、
年相応に、唄を聞かせて勝負するという部分に自分の方向性を見出した松浦亜弥
(その割にはスケバン刑事というあたりが、さすがアップフロントという感じなのだが)
松浦とは逆に、素朴でケバケバしさのない「なっち」というキャラを保ったまま、
これから先もマイペースを貫かんとしている安倍なつみ
どちらもが、今の活動の中では「セクシー」というファクターをあまり必要としていない。
ハロプロというブランドの全体的なパランスを考えれば、
当然、セクシー担当のお鉢は後藤真希のもとに回ってくる事になるし、
ちょうどいい具合に、セクシーさを強調できる美貌とボディを備えているとなれば、
当面の間は、彼女にその部分を担ってもらおうと作り手が考えても不思議ではない。
ただまあ、背景はどうあれ、後藤真希が下手をすれば「慰み者」と化してしまうような
ポジションに置かれているという事だけは間違いはないだろう。


前回のコラムでも書いたように、女性特有の色っぽさを表現する事は大事だが、
ある種扇情的な、有り体に書けば「エロい」要素のビジュアルは
ハロプロに全く必要ないというのがボクの持論であり、それに沿って言えば、
後藤真希が進まんとしている行く末について、ボクはそれを否定的に捉えざるを得ないし、
そんな俗物的なものに頼らずとも、成功要因となるだけの魅力が、
彼女の中にまだ眠っているはずだと、ボクは信じてやまないのである。