232「Eros」



雑誌別速報【フラッシュ】



後藤真希、エロかっこいい胸元−こんなゴマキ見たことない!』


まあ別にいいんだけども、ちょっとこうなんというか、安さ漂うというか、
あまりにもな感じのする見出しで、ガッカリする事この上ない訳である。


「エロかわいい」という妙ちくりんなフレーズを売り物に、
裸同然の姿で、連日メディアを賑わせるタレントと、
その姿に憧れ、売女のごとき下品な風体で街を練り歩き、
世の男たちの劣情を必要以上に掻き立てる十代の少女がわんさと溢れる世の中。
とうとう、後藤真希の写真にまで「エロかっこいい」なんていう、
キャプションがついてしまった。世も末である。
言葉の本質的な由来はさておき、今の時代、エロとは「性愛」の事を指す。
性愛とは、そのまんまではあるが、性的な愛という事であり、
性的な愛とは、端的に言ってしまえば、セックスという事である。
同性異性に関わらず、愛し合う者どうしが、全てをさらけ出し、
本能のままに身体を求め合うのがセックスという行為であり、
ロマンティックなシチュエーションでどれだけ美化しようとも、
所詮は、動物的でグロテスクな体液交換にすぎないのである。
そして、そういう美化できない行為であるからこそ、
セックスは、いつの時代であったとしても、常に秘め事でなければならない。
だいたい、エロというものに「かっこいい」だの「かわいい」だの関係ない。
エロはどこまで行ってもエロであり、明け透けに語られたり、
他人に誇れるような「己の識別符」にはどうやってもなり得ないのである。
だから当然、ハロプロにも、エロ要素などはこれっぽっちも必要ない。


以前、メロン記念日が『肉体は正直なEROS』をリリースした際、
ボクは、それに対して、快哉を叫ぶかのようなコラムを書いた。
コラムの背景にあったものは、いわゆる「辻加護」が入って以降、
現在に至るまで、底を見せる事なく続いてきているハロプロの低年齢化だった。
女性アイドル界の長期政権を築く為の、それが最大戦略であるとは言え、
十代もまだ始まったばかりの、年端行かない「女児」たちが、
グループの目玉商品となったり、勢いの源となっているような状況が引き起こした
急激なファン離れを食い止めるためにも、アダルトチームの復権は、
肝要必須であるとボクは常々感じてきたし、
子供が決して立ち入る事のできない、大人だけのテリトリーとして、
アイドルにはタブーであった「エロス」というド直球を、
この状況であえて放り込んだスタッフの英断を、当時は実に素晴らしく感じたものだった。
だが、あくまでもそれは、ハロプロという集団にメリハリをつける上での、
戦略の一つとして評価ができるというものであって、
ハロプロに、というか女性のアイドルというジャンルに、
ある程度のセクシーさは必要であったとしても、
安易なエロ要素は一切不要であるというのが、ボクの持論である。
だいたい、芸能界には「エロ」を売り物にしている女性タレント数多いて、
あられもない姿を、いとも簡単にあっけらかんと晒している状況の中、
なぜあえて、ハロプロにエロを求めるのか、ボクには全く理解ができない。
胸の大きさしかり。そそられるポーズしかり。そして、艶かしい表情しかり。
ハロプロのメンバーとは、比べ物にならぬほどエロいタレントは多いし、
本当に欲情したいのならば、ハロプロではなくそっちを選ぶ方が、
男として絶対にノーマルだとボクなどは思ったりするのだが。


後藤の写真にもキャプションとしてつけられた「エロ○○いい」という言葉の
元祖と言えば、もちろん「エロかわの女王」こと倖田來未である。
現在23歳の彼女が、7年前、京都に住む一少女として、
モーニング娘。の3期メンバーオーディションに出場していた事は、
ファンの間ではつとに有名な話だ。
その時のオーディション合格したのは、ご存知の通り後藤真希
何度目かの審査で落選した倖田來未は、その後avexへと流れ着き、
さらに数年の潜伏期を経て、現在の飛躍を迎える事となった訳である。
7年の時間を経て、今では彼女が時代のイニシアティヴを握る存在となっているのだから、
この世の中、一体何が起こるか解らないものである。