228「カントリー娘。と呼ばれて」



カントリー娘。Wikipedia



特に縛りもカラーもなく、フレキシブルにその時々で
活動形態を変化させていけるグループの方が、
コンセプトがはっきりと形作られているグループよりも、
伸びしろが多い分だけ有利だという事は、過去のハロプロの歴史が如実に物語っている。
前者の最たる例がモーニング娘。だとするならば、
後者の代表格はカントリー娘。をおいて他にはないだろう。
ついこの間まで「半農半芸」という看板を掲げ、まず農業ありきという
芸能生活を送り続けてきたカントリー娘。
彼女たちにとっては、それがグループとしての唯一無二の方向性だったし、
同時にそうある事が、カントリー娘。というグループの生命線でもあった。
物珍しいその活動形態は、彼女たちを知らない層にグループを認知させるには
十分すぎるインパクトを持っていたのには間違いない訳だから、
今から考えれば、半農半芸という部分でもう少しプッシュして、
カントリー娘。という名前だけでもいろいろな場所に出て行けるだけの
しっかりとした「基礎体力」をつけるべきだったとボクは感じる。
だが、そういう部分もそこそこに、作り手側は「禁断の劇薬」を
カントリー娘。に投与したのだった。


ボクは『石川梨華モーニング娘。)』が、グループ名の後ろについた時、
カントリー娘。としてのアイデンティティは、完全に崩壊したと感じている。
確かに、絶えず田舎臭さの付きまとっていグループに、
石川梨華が洗練された「華」をもたらした事で、カントリー娘。の立ち位置が
大きく変化した部分は否定できないし、あの瞬間がなければ、
おそらく、カントリー娘。の今というものはあり得なかったかも知れない。
だが、「農」の部分にはおおよそ縁遠い存在の石川梨華の参入は、
半農半芸というコンセプトを頑なに貫いてきた、カントリー娘。の存在を完全に骨抜きにした。
そして、カントリー娘。というグループの、ある種象徴のような存在だったりんねが去ると、
「半農」の面影など全く感じられない、至ってフツーのグループとなってしまった。
石川梨華という劇薬を注入した事で、確かに一瞬の栄華を勝ち取る事はできたが、
劇薬の効力がなくなれば、また元のひ弱な姿が露呈するのは自明の理であり、
再びの効果を求め、今度は紺野あさ美藤本美貴を助っ人として迎えたが、
モーニング娘。としても個人としても絶頂期だった、
当時の石川梨華に比べれば、驚くほどのパンチ力も得られずじまいで、
今では、メインアーティストの公演を「ゲスト」として盛り上げる役目に終始する日々。
新曲のリリースはおろか、ほとんどスポットライトが当たる事のない位置へと
後退を余儀なくされてしてしまったのである。


そんなカントリー娘。が見出したひとすじの光明。
それが、フットサルであり、年に一度のスポーツフェスティバルだった。
フィールドに立つ彼女たちは、まるで水を得た魚のようにいきいきと、
そして伸びやかに躍動している。そしてその姿は、筆舌に尽くしがたいほどに美しい。
「スポーツ系ハロプロメンバー」という、半農半芸に代わる新しいコンセプトを、
ここにきて確立した感のあるカントリー娘。
その未来は、とても明るいものであるとボクは感じている。
一つは平たく言えば「つぶしの利く」ジャンルであるという事。
スポーツ系専門の女性タレントとして、このままステップしていけば、
ハロー以外にも活躍の場が広がる事は必至だし、
そこに歌やダンスが融合すれば、カントリー娘。のブレイクは夢物語でもなんでもないだろう。
そしてなにより、カントリー娘。が、コンセプトをしっかりと持ったグループとして再生し、
また新たなる一歩を踏み出す事ができる、これは最大のチャンスだと思うのだ。


日頃、悪態ばかりのフットサルだが、ただ一つ評価できる点があるとするならば、
それは、カントリー娘。の「生きる道」として存在しているという事かも知れない。