227「情けねぇ」
「いやあ、どこをどう考えてもやっぱりキモいわ」
そう真顔で呟いたのは、ボクの会社の同僚である。
何の事はない。先日オンエアされた、
ヲタ芸を撃つハロヲタを大々的に取り上げた某バラエティ番組。
件の同僚はあれをたまたま見ていたんだそうである。
で、日頃からハローのファンを公言して憚らないボクも、
果たしてああいう感じでファン生活を過ごしているのかどうか、
ものすごく気になったといい、わざわざその日の業務の内容を変更してまで、
ボクの乗る車に乗り込んできたからたまらない。
当然というかなんというか、話題は番組の内容の詳細に及び、
(ちなみにこの時点でボクはオンエアをチェックしていなかった訳だが)
「オシオキキボンヌ」の意味に始まり、基本事項から詳細テクニックまで、
ヲタ芸に関する大よそのあらましを散々ぱらレクチャーさせられた挙句、
何気なく飛び出したのが、冒頭の呟きだというのだから、
我ながら、実にやり切れない話である。
当たり前の話だが、ボクはキモくないと自分では思っている。
少なくとも、あの番組に出ていた連中よりは全然マトモだと思うし、
自画自賛でも独り善がりでもなく、他人が見ても、
多分そういう風に感じてくれるであろうという自信は少なからずあるつもりだ。
だから、同僚の発した一言にボクは
「アイツらはキモいけど、ボクはキモくないから」と毅然と答えたし、
かつては現役のヲタ芸師だったボクだから、
ヲタ芸は決してキモいだけのものではないという部分は強く主張したつもりだ。
同僚はうんうんと頷いてはいたが、それでもどこか小馬鹿にしたような薄ら笑いを浮かべながら、
「でも番組の中ではキモい事がファンの売り物だ、みたいな事を言ってたよ」と再反撃に出る。
その時点でオンエアを見た訳ではなかったので、
そのあたりについては言葉を濁すしかなかったのだが、
後から番組を見ると、確かにそのような趣旨のかけ合いがあったようで、
ボクはなんだかすごく情けない気分になったのである。
人にキモいと言われるのは構わない。
誰がなんと言おうと、ハロプロが好きな気持ちに揺るぎがないのならば、
たとえそれを他人がキモいと思っても、それはそれで仕方がないとボクは思う。
それが、ヲタとしての「プライド」というものだ。
ネタっぽく、ヲタである自分はキモいのだと自虐的にのたまう行為の裏には、
「キモかろうがキモくなかろうが、ヲタである自分こそが正しい」という
本来持っていなければならないプライドで真っ向勝負しようとせず、
自分で先にキモいと言っておけば、他人にキモいと言われてもダメージが少なくて済む…
という、なんともだらしない逃げの姿勢が見え隠れする。
別にそれでも構わないのだが、少なくともボクなら、
彼女たちハロプロのメンバーが、「こんなにいいファンたちなんです」と、
どこに出ても胸を張って自慢できるようなファンでありたいと思うし、
そうある為の唯一の手段こそが、プライドを持つ事なのではないかと思うのである。
まあ、あんなくだらない番組を嬉々として見ているようなヲタ連中には、
そもそも伝わらない話だとは思うのだけれど。