223「けやき通りが色づく頃。」



さいたま新都心Wikipedia



2年ぶりのけやき広場は、どしゃぶりの雨だった。


いつもだと、開演までの時間ファンでごった返す場所にも人影はまばらで、
人の声はほとんど聞こえず、欅にそぼふる雨音だけが大きく響いている。
グッズ売り場を見てくると言って、一緒に出かけた友人が去り、
一人きりになったボクは、そっと傘をさして、屋根のある場所から、
わざわざ広場の真ん中の方に歩いていき、
そして「いつもの場所」に立つと、そっと目を閉じてみた。
目を閉じたはずなのに、なぜか、そこはけやき広場。
雨が降っている訳でもなく、ファンたちで大賑わいの、それはいつものけやき広場で、
いつか見た事のある、感じた事のあるそんな風景の中を、
なぜか一人だけ傘をさして、ボクは佇んでいるのだった。


ボクにとって、5月のけやき広場は、忘れようとも忘れられない思い出の場所である。


2002年の春ツアーのファイナルは、彼女たちの姿を
初めて前の方の座席で見る事ができた、記念すべき日であった。
彼女たちは当たり前の話だが、やっぱりボクらと同じ人間で、
テレビや写真では全く解らない「物質感」のようなものを
すぐ近くでリアルに感じる事ができ、無性にテンションが上がったのを覚えている。


翌年は、ボクが当時心酔していた、保田圭の卒業公演。
ボクはスーツを着込み、正装した状態で、公演が始まるのをひたすら待っていた。
多くの仲間たちが、広場特有の開放感で楽しげに過ごしていても、
来る「その時」を目前にしたボクは、全くその輪に入っていけず、
いろいろな事を考えながら、ただただ悶々としていた記憶がある。
そして公演が終わり、すっかり暗くなった広場に戻ったボクに、
「おつかれさま」と、やさしく声をかけてくれた仲間がいて、
心底嬉しくて、そして心底切なくて、忘れられない一日になった。
その次の年も、ボクはやっぱりけやき広場にいて、
前の年とは比べ物にならないくらいに、はっちゃけていた事を思い出す。


この場所を、そんな風に大切に思っているのって、ボクだけなんだろうか。
フィードバックしていく記憶の中で、ぼくはふとそんな事を思ったりした。


5期メンバーにとっての晴れ舞台となった2002年。
保田圭の卒業に涙した2003年。
そして、一世を風靡したミニモニ。の終幕に一抹の寂しさを感じた2004年。
どうしようもないくらいに楽しくて、そして、どうしようもないくらいに愛しかった、
その時々の思い出たちは、いつもけやき広場と共にあった。
過去行われてきた、モーニング娘。のライブやイベントは数知れず。
その中でも特に、記憶の中核をなしている会場は確かに存在する。
横浜アリーナしかり、中野サンプラザしかり、大阪城ホールしかり。
だが、会場内外の空間全てをひっくるめて、
これだけの思い出や、笑いや、涙が詰まった場所は他にはないとボクは感じるし、
この場所に、今年また戻ってこれた喜びは、ボクにとって何物にも替え難いものだった。
そしてたぶん、多くのファンたちもまた、大なり小なり
この場所の事をそんな風に思っているに違いないと、ボクはどこまでもそう信じている。



目を開けると、そこはやっぱり人気のない、どしゃ降りの広場の真ん中。
グッズ売り場から戻った友人が、美味そうにタバコを燻らせていた。


「来年は晴れるといいなー」


そう呟いて、ボクは入場ゲートへと向かった。