220「サヨナラの向こう側」



『モーニング娘。』5期メンバー「紺野あさ美」・「小川麻琴」卒業のお知らせ (オフィシャルサイト)



悲しくて寂しいものは、
どれだけ繕ってみても、
やっぱり悲しくて寂しい。
「別れ」というものはそういうものである。


例えそれが、その後も界隈に生き続ける事がはっきりとしている
「かりそめの別離」であったとしても。
あるいは、本当にボクたちの手の届かないような場所へと旅立って行ってしまう
「今生の別れ」であっても。
別れというものは皆平等に切なく、そして、やりきれない。
それが自分にとってかけがえのない、愛すべき、大切な存在であればあるほど。
そして、一緒に過ごした時間が長ければ長いほど、切なさはさらに大きく募っていく。
今、別れを目前にして、ふたりと共に歩んできたメンバーたち、
そして、ふたりの事を愛し続けてきたファンたちは一体何を思うのだろう。


経緯はどうあれ、本人たちが頷いて出した結論なら、最大限理解してあげたい。
今、現時点で、本当のファンならば誰しもそう感じているに違いない。
でも、それを言い訳にして、寂しいとか切ないとかいう思いに
むりやり蓋をしてしまってはいないだろうか。


学業専念。語学留学。言い方はともかく、そこに秘められた意味はたった一つ。
永遠でないとは言え、表舞台でその姿を見る事ができなくなるという、
それは、とてもシンプルな事実なのだ。
9月の声を聞く頃には、もうふたりの姿がそこにはなく、
そして、再びふたりがボクたちの前に姿を現す日がいつになるのか、
あるいは、その日が本当に来るのかさえも解らない。
手を伸ばせばいつもそこにあった、かわいい笑顔が、そして絶えない笑いが、
ボクたちのもとから「消えて無くなって」しまう。
これを読むふたりのファンたちが、どんなスタンスで活動してきたかは知らない。
けれど、そんな絶望的な状況で、苦しい思いを抱かぬ者などいないはずなのだ。
「前向きに考える」とか「明るく見送る」とか、
欺瞞とまでは言わずとも、素直にそこまでの事が思えるものなのか。
少なくともボクならば、とてもそんなタフな精神状態ではいられないだろうと思う。
毅然と未来を見つめるのか。あるいはショッキングな現実を嘆くのか。
ファンとして、どちらが正しい在り方なのかは解らない。
だが、自らの衝動に正直に行動する事が、人間として一番正しいし、潔い。
その事だけは、はっきりと言えるような気がするのだ。


正直、今はまだ、発表されたばかりで何も考えられない。
これからの数ヶ月。ふたりがメンバーとして活動している姿をしっかりと見ながら、
時期が来れば、ボクなりの「まとめ」を論じようとは思っているが、
今はひとまず、胸の奥に強く引っかかっている虚無感を、
『4th「いきまっしょい!』と少しのアルコールでゆっくりと解きながら、
眠れぬ夜を過ごしてみようと思っている。