214「それは水菜のシャキシャキサラダの如く」



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いや、不毛だという事は百も千も万も承知の上なのだけれど、
無いものねだりだという事を思い知らされているが故に、余計その思いは募ってしまうのである。


ジリリ キテル』のあの勢いとパワー。
モーニング娘。では成立しないものなのだろうか。


好きだからこそ敢えて苦言を呈せば、今のモーニング娘。には若さがない。
別に初期のBerryz工房のように、愛でる事に若干の罪悪感を抱いてしまいかねない、
少女特有のあどけなさを欲しているという訳ではなく、
仮にも当初は、若さが売りだったはずの吉澤モーニングなのであれば、
少なくとも実年齢くらいの若々しさはあってもいいのではないかと思うのだ。
コンセプトで形を縛らない事が、ある種コンセプトのモーニング娘。であるからして、
Berryzのような、年相応の形と雰囲気を決め撃ちしてのグループ作りには
なかなか踏み出せないという側面も確かにあるとは思うが、
それにしても、ここ数作のシングルにおけるモーニング娘。には、「潤い」が全く感じられない。
もちろん、作品としては申し分のない出来映えなのだが、
なんというか、全体の雰囲気がドライで妙に落ち着きすぎているというか、
とにかく、手に取った後の爽快感というものに、イマイチ欠ける嫌いがあるのだ。
もちろん、何の比較対象もなければ、そんな思いには至っていないのかも知れないが、
同じプロデューサーが手がける、あまりに鮮烈な存在があるだけに、
コンセプトからなにから全く異なるグループを、
単純にああだこうだと比較論の俎上に乗せるつもりもないのだが、
どうしても、いけない事だと思いつつ、隣の芝生を恨めしく眺めてしまったりするのである。


Berryz工房が、アンチも多いとは言え、あれだけの人気を博している理由。
もちろん、若さや勢いがあるというだけが、彼女たちの魅力の全てではないだろうが、
他のハロプロのメンバーが年齢を重ね、若い年齢というファクターのみが醸し出す、
パッと鮮やかな色彩を、徐々にシックなものに変換しようとしている現在。
その色彩こそがすなわち、女性アイドル特有の「輝き」であるとした時、
今、その輝きを醸し出せるのは、もはやキッズ派生のユニットと、そしてモーニング娘。
それも、特に6期7期のメンバーあたりしかいなくなってしまっている現状である。
すなわち、高い下駄を履かされたモーニング娘。が、以前のようなみずみずしさを失ったとき。
必然的に押し出されてくるのは、やはりBerryzであり、そして℃-uteなのである。
そして、そういう状況下で、なにげに触れてみたBerryzの楽曲の爽快感が、
全身を貫いたその時、気がつけば人は彼女たちの虜になってしまうのである。


そう。まるで、今のボクのように。