199「提言・Hello!Project 前編〜ファンたちへ」



ハロー!プロジェクトWikipedia



ハロプロは「点」ではなく「線」で見ろ。
つまり、そういうことなのだ。


200本書いてきたコラムの中で、ボクが発してきた様々な意見の根底にいつもあるのは、
ハロプロは「流れ」の中にしか存在しないのだという事。
過去の歴史との安易な比較に興じたり、また、その比較を拠り所にして、
今という時代を見つめる努力を放棄してしまったりという、
ハロプロを「点」でしか見られないファンが、悲しいかな多いという事実がそこにはある。
点と点の比較など、ハロプロには全くもって無意味な事なのだ。


「点」主義者たちの多くは、シングルの公称セールス、チャートの順位、そしてテレビの視聴率など、
主に数字を根拠に、過去のある時点のハロプロと今とを比較し、
「過去はあんな数字だったのに、今の数字がこれだから今のハロプロはダメだ」と結論付ける。
だが、そんな数字の羅列と信憑性薄弱な比較主義など、ボクからすれば片腹痛い。
だいたい、今はCDが売れる時代ではない。楽曲ファイルのネット販売も急激に普及し、
円盤を買う必要性も徐々に失われてきつつある昨今。だが、そこには一切触れることなく、
ただひたすら、目前に出された数字を、縦や横にいろいろ単純比較したうえ、
なんとか売り上げが下がってきている事を強調したがる「売上厨」たちは、
そこにデイリーチャートなどという、胡散臭い数字までをも持ち出し、
絶えず「もうダメ。もう無理」とピーチクパーチク喧しい事この上ない。
あるいは、モーニング娘。のメンバー変遷を比較し
「あの時代のメンバーが最高だった」などという物言いをする者もいる。
特に、オリジナルメンバーというものをやたらに神格視する傾向があり、
あろう事か、オリメンのいなくなった今のモーニングをこき下ろすというタチの悪さで、
同じファンとしては、実に嘆かわしい今日この頃である。
彼女たちの過去の歴史は、時代によって何分割かにできようが、
それぞれの時代に存在していたのは、全く異なるハロプロでありモーニング娘だった。
向いている方向や、やっている事が全く違う二つの物を比較しようというのが、
そもそもナンセンスの極み。彼女たちは、常に流れの中にあって、
点としてではなく、一本の線としてここまでの歴史を紡いできた。
その、見事なまでに美しい「線の歴史」を見つけ出す事もなく、
過去の幻影にしがみつかなければ、その存在意義を維持できない
ファンの多さには本当閉口してしまう。
そして、まさかとは思っていたが、本当にラブマだけで全てが完結してしまった、昨年暮れの紅白歌合戦
批判はあれど、最終的には全て肯定するというのがボクのファンとしてのスタンスなので、
今となっては、もう何も言う事はないし、それも一つの「線の歴史」だと言われれば、
それはそれで返す言葉もないが、胸に残ったしこりは消えないままだ。
ドリームチームなどと美化されてはいたが、要は悪しき「点」主義の具現化。
今を見続けることに喜びを感じる、ボクのようなファンにとっては、何の魅力も感じないばかりか、
むしろ嫌悪感すら覚えたというのは、当時のこのコラムにも記した通りである。


過去を振り返らない事が、アイドルを愛でる唯一無二のルールだと言うつもりはない。
懐古も時には必要だろうと思う。だが、ことハロプロモーニング娘。に関しては、
その一瞬一瞬が全てであり、それを疎かにして、昔を惜しむ事に執心するというのは、
ハロプロが持つ魅力に、フィルターをかけてしまっているようなものだとボクは思う。
そして、そんな「後ろ向き」なハロプロの楽しみ方が、
これから先のスタンダードなってはしまわないか。
コラムを通じ、可能な限り、この危惧について訴えかけていこうと思っている。
そして、ハロプロの本当の意味の楽しさをこれから先も伝えていければ幸いである。