195「まるごと『レインボー7』/Part4」



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#6 『レインボーピンク


もはやこれは「事件」である。


いつものように努めて理路整然に。それでも思い入れをたっぷりと込めたレビューを記そうと、
一応は試みたのである。だが、この楽曲の前には、もはや全てのロジックや言語表現は無意味だった。
楽曲から放たれる100%ピンク色のセンセーショナリズムは、
ボクの全身の細胞という細胞に直接作用し、
ドーパミンともアドレナリンともつかないような分泌物が大量に溢れ出る瞬間を、
脳内の奥底に確かに感じながら、それでもなんとか理性を保とうと
ボクはCDのストップボタンに手をかける。
だが、その感情とは裏腹に、ボクの人差し指はトラックリピートのボタンを探しているのである。
それは抜け出せない無限回廊。そして、もはや発狂寸前のボクの前頭葉に、
トドメの一撃が注入された。


「きゃははははっ」


長い人生を生きてきた中で、それはおそらく初めて味わう「完膚なきまでの敗北」。
ピンクのコスチュームに身を包んだ、プリティ過ぎる二人のAssassin(暗殺者)は、
聴く者の神経内部を完全に支配し、そして、狙われた者たちは皆、寝ても醒めても、
永遠にピンク色に彩られた毎日を過ごす事を余儀なくされてしまう。
これほどまでに恐ろしい破壊力を持つ楽曲が、かつてアイドル史上に存在しただろうか。
いや、少なくともボクがアイドルファンとして過ごしてきた20年の間にはあり得なかった。
百戦錬磨と自負のあったボクすら、いとも簡単に陥落してしまった『レインボーピンク』という楽曲は、
良い意味でも、そして悪い意味でも、長いアイドル史の中で伝説となりうる事は間違いがない。
そう。今ボクたちは、伝説の「生き証人」となったのである。


「アイドルという存在の徹底したパロディ」
理屈ではない楽曲を、それでもあえて理屈っぽく語るとするならば、
ポイントはそこだとボクは考える。


無論、道重さゆみとしては、自らのキャラ嗜好にドンピシャの
重ピンクというキャラクターに真剣に取り組んでおり、
追随する久住小春もまた、加入後初めて与えられた本格的なキャラクターとも言うべき、
こはっピンクを精一杯全うしている訳だが、彼女たちのマジ姿勢とは裏腹に、
作り手が目指したのは、80年代に実際にそこかしこに展開した
アイドル歌手を取り巻く「ベタな風景」の忠実なパロディ化だった。
その完成度はあえて述べるまでもないだろう。
かつてのアイドルが必ず持ちあわせていた「作り物っぽさ」までをも、作り手たちは完璧な形で表現し、
恐ろしいまでにリアルなパロディがそこには展開されている。
そして何より凄いのは、それを、アイドル界のトップランナー自らがやってしまうという事だ。
例えば、ステージ上で感極まって涙を流す。例えば、思わせぶりなコメントでファンを煽る。
例えば、アイドルとは、どこまでも乙女チックな存在なのだという事を殊更に強調する…
下手をすれば、アイドルという商売の「手の内」を晒してしまう事にもなりかねない表現。
それでも、モーニング娘。が、作戦の一環として、そんな危ない橋をズンズン渡る事ができるのは、
やはり絶対的な自信と、それに裏打ちされた実力があるからなのだろう。
そしてもちろん、道重さゆみという、アイドルタレントとして極めて稀有なキャラクターを、
モーニング娘。が獲得できたという事も、大きな要因の一つである。
この楽曲を、ここまで完璧に表現できるのは、ハロプロ内で。いや、日本中のどこを探してみても、
重ピンク以外にはあり得ない。そこに異論の余地などもはやないだろう。


というか、そんな事すらも、もうどうでもいい事なのだ。
ただひたすら、大音響でこの曲を流したまま、倒錯の快楽の世界に溺れていたい。
いや。例えボクがそう思わなかったとしても、楽曲の持つ魔力が、決してボクを離してはくれまい。
なぜなら、全身に回ってしまったピンク色の毒が、ボクの全身を激しく揺さぶり続けるからである。