185「プッチモニ待望論」



プッチモニWikipedia



前回、ごっちんの事を書いて、2002年なんていうフレーズを使ったもので、
無性にその当時の映像が見たくなって、翌朝早いにも関わらず、
残ってるテレビの録画だとかを朝方までいろいろ見てしまった。
まあ懐かしさというのがまずあるのだけど、同時に、いろいろな意味においてのあそこまでの充実感は、
今じゃ到底味わえないのだな…という、とても悲しい実感を抱いてしまった。
そう感じる要因の一つが、タンポポでありプッチモニでありミニモニ。
すなわち、グループ内ユニットの事実上の消滅にあるのは言うまでもなく、
それが時代のニーズであったとは言え、やはりどこか釈然としないという心持ちは、
数年経った今でも変わってはいない。
そして、空が白み始めた頃に再生した、2002年春夏ツアーのDVD。
すなわち後藤真希の卒業公演となった『LOVE IS ALIVE!』を見ながら、
ボキは、時代が今また彼女たちを求めているのではないか…と、しみじみ感じていた。
プッチモニである。


あの横浜アリーナの公演は、後藤真希の卒コンという他に、もう一つのアイデンティティを持っている。
それは、第2期タンポポラストステージの、
黄色サイリウムによる餞のセレモニー。通称「タンポポ祭り」である。
後に、このタンポポ祭りの成功を糧として、統一サイリウムによるセレモニーは、
モーニング娘。メンバーの卒業時には必ず行われる「伝統」「慣例」となる。
また、サイリウムが目立つようなステージ照明の調整があったりするなど、
ファンはもとより、演者やスタッフにとっても、それは恒例のセレモニーとなっていき、
ついには、モーニング以外のメンバーの、しかも卒業以外のトピックにも、
サイリウムのセレモニーが用いられるようになり、今では「記念日=サイ祭り」という図式は、
ハロプロヲタの間では完全に一般化したと言っていい。


それはさておき、確かにボキもタンポポ祭りに参加し、
その光景に感動し、ヲタ同士の横の連帯感に心酔したクチなのではあるが、
今だから言うが、実のところは内心モヤモヤしたものを抱いていた。
なぜなら、タンポポがそうであると同時に、第2期プッチモニにとってもまた、
それがラストのステージだったからである。当時のボキはプッチモニ寄りのヲタだったので、
当然、タンポポ祭りが着々と進行している様を見ながら、内心、それは複雑な心境だった。
サイリウムがどうこうという話も実はあるにはあったのだが、
タンポポの方のインパクトと規模があまりに大きくて、結局うやむやのまま終ってしまっていた。
それでも、当日、プッチモニヲタとしての意地を見せたくて、終演後、全員がごっちんコールをする中、
ひたすら「プッチモニプッチモニ!」と連呼していた事を、今でもよく覚えている。
もちろん、リスペクトしてやまない保田圭がいるからという部分もあるのだが、
それ以上に、ユニットのカラーがとにかく好きだった。それは初代も2期も、
そして見る事のあまりなかった3期プッチも同じである。
ボキの中では、たぶんどこまで行ってもタンポポプッチモニを越える事はないだろう。
なぜなら、あれほど個性の強いメンバーが揃ったユニットをかつて見た事がないし、
しかもその個性はと言えば、3人全くバラバラの方を向いているのに、
ユニットとして全く破綻する事なく、むしろ完成度は他のどのハローのユニットよりも高かった。
そしてなにより、個性と集団美と完成度。そのパランスが実に絶妙だった。
考えてみれば、「プチモーニング娘。」がコンセプトだったプッチモニ
なんでも食べられて、かつ美味しいというモーニング娘。のお得感をお手軽にどうぞ、
というプッチモニの存在意義こそ、あれやこれやに手がかかりすぎて、
少しばかりお手軽感を見失いつつある、モーニング娘。
今、最も必要な要素なのではないかとボキは思うのだ。


ヒントは、先週末の奇しくもあの時と同じ横浜アリーナにあった。


あのステージで、劇的に復活したプッチモニを見た者であれば、
プッチモニというユニットが持つ配色や雰囲気が、
他のユニットとは一線を画するという事が感じとれるだろうと思うし、
モーニング娘。には、今こそああいう刺激が必要なのだというボキの思いも、
少しは理解してもらえるかも知れない。


時代は今、間違いなくプッチモニを求めている。