164「『第2成長記』〜Berryz工房2ndアルバム」



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コラムを書くに当たって心がけているのは、ハロプロの全指向性にアンテナを張り、
常に情報を得ようとする姿勢。そして、その情報をただ漫然と受け取るだけではなく、
それについてどう思うのか、どう感じるのか。自分なりの見解を持つという部分である。
例えばCDを聴くにしても、ただ単にいい悪いの二者択一をするのではなく、
いいと思うのはなぜなのか。どういう部分がイマイチだと感じるのか。
つぶさに分析をして、考察する事こそが、このコラムの生命線だとボキは思っている。
で、そんな自分なりの考えをまとめる為には、やっぱりそれなりにその情報というものを
反芻せねばならない訳で、CDの例で言えば、幾度となく繰り返し聴き続け、
そして、良さや悪さを浮かび上がらせていくという作業を行う事になるのだが、
今回『第2成長記』のレビューをまとめるにあたり、何度もトラックをリピートし、
あれこれ思いを巡らせるうちにボキの胸の内は千路に乱れ、最終的には、
もうなんかどうなってもいいや…なんて、軽い自暴自棄に陥った。
そして、今回ほどコラムを紡ぐ事を苦労と感じた回はない。今はそう痛切に感じている。


前にも書いたが、『スッペシャル ジェネレ〜ション』(TR-2)以降、
ボキはBerryz工房の楽曲と「ちゃんと」向き合うようになった。
それは、スペジェネが楽曲としてハロプロ史上に名を残すほど素晴らしいものであり、
それを唄ったユニットであるBerryz工房の事を少しばかり「見直した」というのが全てで、
「推し」や「萌え」というような感情を彼女たちに抱く事はこれまで同様これっぽっちもないし、
彼女たちに興味が沸かないという状況は以前といささかも変わりはない。
まあたぶんこんな事でもなければ、CDだって聴くには至っていないだろうとさえ思う。
そういう状況下。このアルバムと対峙し、まず全てのトラックの完成度が、
ここ最近のハロー系のアルバムの中でも群を抜いて高いという事に驚愕し、
そして、その楽曲を供されているのが、誰あろうBerryz工房であるという事実に、
なんとも言えない悔しさを抱いてしまうのだった。
捨て曲も特に見当たらず、どのトラックもシングルで十分やっていけるだけのクオリティ。
そして何より、若さに任せての勢いがほとばしるかのような、実にみずみずしい仕上がりで、
「こんな曲がモーニングに下ろされていればなあ…」
なんて、無いものねだりの一つもしたくなるような、そんなアルバムとなっている。
そして、なんども反復鑑賞を続けていると、不思議なもので、それまではスペジェネと比較して
「イマイチだな」などと感じていたシングル曲の印象までもが変わってくるのだ。
人間の順応性の凄さ(あるいは恐ろしさ、か)を改めて実感したのと同時に、あるいはそれは、
ボキの中でのBerryz工房に対しての「雪解け」なのかも知れないなどと、ふと思ったりもするのである。


そんな雪解けを認めたくない心と、
「良いものは良い」と評価せねばならないというハロヲタとしてのポリシー。
ジレンマがボキの心を激しく掻き乱し、気がつけばまた再生ボタンをクリックしている。
しかも流れてくるのが『恋の呪縛』(TR-5)だというのだから、
これはもしかすると、取り返しのつかないところまで来てしまっているのだろうか。


誰かボキを助けてください。