163「価値論。」



第56回 NHK紅白歌合戦 出場歌手決まる!(NHKオフィシャルサイト)



その威光や権威というものが、もはや風前の灯火だと言われて久しい紅白歌合戦だが、
内容の如何を問わず、また実際見る見ないに関わらず、
大半の日本人の心には「大晦日と言えば紅白」という方程式がインプットされている。
晦日のテレビと聞いて日本人がぱっと思いつくのは、
格闘技でもドラえもんでもなく、それはやっぱり紅白歌合戦なのだ。
視聴率が何%下がったとか、特に昨今は喧しく騒がれたりしているが、
大半の日本人の意識下に、紅白という単語が刷り込まれているという事実は、
なんだかんだ言ってもやっぱり凄い事であって、
小手先の数字ばかりに目を奪われる余り、大局を見逃している嫌いは大いにあると言えよう。
尺度を計るという意味で、数字や実績を追うという事も確かに必要かも知れないが、
ある一つのジャンルの象徴とも言うべき存在になるというのは、
数の大小というレベルを遥かに超越した価値を持っていると思うし、
例え勢いが一時よりも衰えたという事実があったとしても、その価値はいつまでも不変だし、
「○○と言えば××」などと、どんな場所でも名前が出てくるというのは、
誇りとすべき事なのではないかと思ったりするのである。


全く同じ事が、モーニング娘。にも当てはまるとは言えないだろうか。


2000年以降の女性アイドルシーンは、モーニング娘。というグループと
共にあったとそう言い切ってしまっていい。多くのムーヴメントを生み、
「私もあんな風になってみたい」という、少女たちの憧れたる存在になった。
女性アイドルと言えばモーニング娘。という時代を確かに彼女たちは築き上げた。
ある者はCDのセールスを持ち出し「売れなくなった」と言う。
またある者は番組やCMへの露出度を持ち出し「注目されなくなった」と言う。
しかし、現代日本の女性アイドルの代名詞であり象徴は、
間違いなく言わずと知れた「モームス」であるし、後藤真希安倍なつみも、そして松浦亜弥だって、
モーニング娘。というグループが産み落としてきた存在である。
今の佇まいに勢いが感じられないからと、モーニング娘。を手放したり
あるいは軽視したりする事がいかに愚かな事なのか。
それを図らずも証明したのが、モーニング娘。紅白歌合戦8年連続8回目出場決定の一報だった。


ソロで一時代を築く松浦亜弥ですら、後ろにDEF.DIVAが乗っかった形での出場を余儀なくされている中、
モーニング娘。はちゃんと一枠の出場枠を獲得している。
これはモーニング娘。が日本を代表する女性アイドルであるという純然たる証であり、
数字や表面的な感覚だけで「モーニングはもうダメ。これからは△△の時代」などと
本気で思っている者にとってはさぞかし悔しい事かも知れないが、
それがモーニング娘。と他の名前との歴然とした「格の違い」なのである。
そして、どこまで行っても何を言っても、絶対に本流であるモーニング娘。
追い越す事のできない見えない壁が、そこにしっかりとそびえ立っているのだ。
あの松浦亜弥後藤真希でさえそんな状況なのだから、
Berryz工房やらなんやらなどは、何をか況やというものである。


早い話、数字やクオリティは作り方一つでどんな風にもなるのだ。
問題はそういう部分に現れる事のない「価値」が備わっているかどうか。
紅白もモーニングも、その名前だけで人々に何かを訴求していく力を未だ持っている。
多くの国民なりモーヲタが、その事に早く気がつけば、
自然とより良いものが作り上げられていくと思うのだけれど。