162「忘れてはいけない事。」



矢口真里、連ドラ初挑戦でいきなり主演(ニッカンスポーツ/11/25付)



やっかみ。妬み。粘着。八つ当たり。
今日の内容は、ある意味ボキというヲタのダークサイドを垣間見せる、
読み終わっていささかの嫌悪感に包まれるような、そんなコラムになるかも知れない。
しかし、時々刻々、それも目の回るほど早いスピードで動き続けている
ハロー!プロジェクトという名の「激流」にその身を窶し続けていく事を宿命づけられたヲタ、
その中でも特に、モーニング娘。という存在を愛してやまない者にとって、
どんなに時間が経とうと、どんなに佇まいが変わろうと、
決して忘れてはいけない、それは歴史の認識であり、
あの時、多くの人間たちが抱いた失望感や焦躁感を、巧妙なギミックを用いて
「まあもういいじゃないですか」などと隠蔽しようとする「大勢」への、
純然たる警鐘であるという事だけは、まず読者諸氏に伝えておきたいと思う。


とは言え。
何も彼女の順風満帆な現在を貶めようなどとは思ってはいないのだ。
なんと言っても7年の付き合い。邪険にしたくとも、目や耳は自然と彼女の方を向くし、
その言動がいちいち気にかかるのは、あの時のまま何も変わってはいない。
でも、彼女とハロプロ、あるいはモーニング娘。との関係性の「いびつ」さが、
ただただ、ボキには気持ちが悪くて仕方がないのである。


彼女の八面六臂の活躍のバックボーンとなるのが「矢口真里」という名前オンリーだというのならば、
きっとこれほどの違和感を抱く事はなかったろうと思う。
現状を見るに、彼女の活動している傍らから「元・モーニング娘。」というレッテルは
剥がれきっていないように思えるし、復帰してからのここまでを振り返った時、
モーニング娘。というネームヴァリューで、
自らのソロ活動の下地を相当築いてきたという部分は否めないと思う。
そして現在では、ハロプロのバラエティ部門の稼ぎ頭。歌という本流ではないにしろ、
事務所のもう一方の軸を確実に牽引していると言っていいだろう。
何事もなかったかのように、今、ハロプロという集団の先頭に位置している彼女は、
半年前のあの日、自らのスキャンダルが露呈した事を受け、
モーニング娘。にはもういられない」と言い放って、
モーニング娘。史上初の「脱退劇」を演じた、確かにあの矢口真里なのだ。


汚い言い方をすれば、どのツラを下げて「元・モーニング娘。」を名乗っているのかという事である。
紙切れ1枚でリーダーとしての責任を、それも全国ツアーの途中という時期に放棄し、
何の非もない9人のメンバーにステージ上で頭を下げさせ、
そして、多くのファンに動揺と苦悩を味あわせたあの矢口真里が、
稼ぎ頭としてハロプロを引っ張っていこうとしているという事実。
そして、過剰とも思える露出、あるいは、タブーと思われたメンバー時代の話を
メディアで積極的にあらわにしていく意外性といった、
作り手たちの巧妙な戦略によって、もはや彼女に沈痛な面持ちで謝罪をしていた頃の面影はなく、
下手をすれば、当時大いに嘆き苦しんだヲタでさえも、
彼女を受け入れようとしている、そんな嫌いもあったりする。
何度も言うが、彼女のバラ色の未来にケチをつけるつもりはない。
だが、あくまでもボキはモーニング娘。のファンとして、
彼女があの時巻き起こしたさまざまな「問題」や、悩み苦しまされた日々を
絶対に忘れる事はないし、モーニング娘。を愛する者すべてに、
その事実を忘れずいて欲しいと強く願っている。
そして、彼女がその重過ぎる十字架をいつまでも背負って生きていく事を、
ボキは強く望みたい。酷な事を言っているのはもちろん重々承知の上だ。
でも、彼女にはそう生きねばならぬ「理由」と「責任」があると思う。


もしもボキが、納得ずくで彼女を赦し迎え入れる日が来るとするならば、
それは、全てを捨てて彼女がモーニング娘。に戻ってきた時だろう。


そんな日がいつか本当に来ればいい。
それがボキの偽らざる本心なのだ。