157「月刊誌「サイゾー」」



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ボキも文章を書く人間の端くれとして、
一応はその基本というものを日々心がけているつもりである。
例えば、一つテーマを決めて文章を紡いでいく時、最終的にそのテーマに対して、
書き手である自分がどういうスタンスで臨んでいるかを表明する。
そこまで難しくはなくとも、そのテーマについて、書き手として何が言いたいのかを
最終的に明確にする事は、物を書き著すという行為の基本中の基本なのではないかとボキは思う。
もちろん、ボキの文章の全部が全部、その基本が守られているとは言えないが、
単なる日記ではなく、誰かに読んでもらう事を前提に書く文章だからこそ、
自分が何を考えてその文章を記したかの表明にだけは気を遣っているつもりである。


雑誌『サイゾー』に掲載されたヲタ芸に関する記事は、
内容がどうとかいうよりも、その記事のあり方そのものが極めて稚拙で、
一般商業誌の数ページを飾る記事とは到底思えないほど低レベルの内容だった。
ズブの素人のこんな事を言われて、作り手も立つ瀬がないだろうが、事実なのだから仕方がない。


まあそもそも、一般誌の企画として、コアなアイドルファンたちの
一部の流行に過ぎないヲタ芸を取り上げてしまうという指向性(なんでも担当編集氏はハロヲタらしいが)
からしておかしな感じだし、ヲタにしか解らない単語を多用し、
嬉々として技のレパートリーを羅列しているあたりも、非常に内輪受け的で、
とても一般誌の記事とは思えない厚顔無恥ぶり。そして極めつけは、
プロの舞踏家にヲタ芸についてのコメントを求めるという、ビビッド極まりない企画のセンス。
記事の編集過程を想像する時、それは間違いなく大学のアイドル研究会が作る同人誌のノリであったろう。
いや、きょうびアイドル研でも、もう少しまともなテイストのテキストを書く。
なんというか、全体を通して伝わる素人臭さ。そして、掲示板のテキストをそのまま引用したような、
個性の全く感じられない文章技巧。仔細を挙げればキリがないが、
基本的に一番ダメな部分は、この記事が、ヲタ芸の何を伝えたいのか全く見えてこないという事である。


ヲタ芸というものがハロプロのコンサートにはびこり、それが異様なムーヴメントを生み出している。
それを紹介しようというテキストであるのならば、
技のレパートリーや解説に字数を割くのではなく、ヲタ芸を撃つ者の心理面を取材で解き明かしたり、
同人誌では絶対に実現不可能な演者側へのアプローチなど、もう少し違う切り口も考えられるだろう。
あるいは、ヲタ芸をただ単に面白がったり、キモがったりする主旨であれば、
スチールを中心とした記事にして、爆音関連のイベントや、会場前での祭りを紹介したり。
つまり、ヲタ芸をどう読者に伝えたいか、明確なコンセプトがあの記事には見当たらない。
稚拙で素人臭く感じる原因はそのあたりだろうし、また、ヲタ芸というテーマからは
所詮その程度の浅い記事しか生み出されないのかと思うと、少し寂しい気持ちにもなった。


少なくとも、プロの仕事なのだから、ハロプロハロヲタが絶対的に引き立つような、
もしくは徹底的にこき下ろすような、解りやすくメリハリの利いた文章を書いてもらいたいと思うし、
これを反面教師として、自らの執筆も日々修練していかねばならないと切に感じた。