147「10・23 周南の奇跡/2」
「でも、自分の中ではカワイイと思ってるんで大丈夫です」
(ハロー!モーニング。2003.7.27 OA『ハロモニ。図鑑』より)
嫌味ったらしい野心があるでもなく、かと言って計算高く緻密にボケているという訳でもなく、
彼女の発したその一言は、実は極めてフラットなものだったのだと、
今にして考えれば理解ができるのだが、ボキも含めた多くの人間が、
当時の彼女に向けたのは、やはり奇異の視線だったと思う。
しかも、オーディションの時に見せた破壊的な歌唱力のイメージも強く、
彼女の様々な言動は「かわいいけど変わった子だなあ」という印象を
我々に植え付けるには十分すぎた。
しかし時が経ち、彼女の言動をつぶさに観察していくうち、
彼女が「よし、今日もかわいい」と自負し広言する事が、
そこに特別な意図を持ち得ない、彼女にとってはごくごく当たり前の事なのだ
というのに我々はある日気づかされる事になる。
彼女にしてみれば至って普通の、幼い頃から日常言ったりやったりしている、
それは構える事のない自然な形の自己表現だったのである。
そして時は流れ、芸能人としてのキャリアを積んだ彼女は、
それまでは無意識のうちに放っていた、そんな「天性のナルシズム」を、
大人数における自らの識別符と決め、さじ加減で、自在にナルシスキャラを制御するようになった。
つまり「確信犯的ナルシスト」に変貌を遂げてしまうのである。
いや、もともとそれこそが彼女の生きる道だった。
神の見えざる手は究極のアイドル・道重さゆみという存在をまず作り出し、
そして、後に道重さゆみとなる予定の少女に、強力なナルシズムと個性を授けた。
やがて時間は過ぎ、その少女は、最初に見えざる手が提示した道重さゆみの、
精神・肉体・そして能力。全てのファクターにおいてガッチリと同化し、
ようやく今、道重さゆみという稀有なアイドルは一つの完成を見たのである。
そして、その完成形の具現化こそが、10・23の周南市文化会館だった。
妹の晴れ舞台を見守る兄の緊張…という感じでもないし、
父親参観日なんていうのはもっと違う。
あのステージを見た時の自分の心境はなかなかにして複雑だが、
ただ一つ言えるのは、彼女がステージで見せた「奇跡」は、
これから先、ハローとモーニング娘。と道重さゆみにどんな重大な変化が起ころうとも、
絶対に忘れられない、一生の宝物だという事である。
そして、あの『ふるさと』のメロディ、その一点を拠り所として、
これからもボキは、道重さゆみを、ただまっすぐに見つめ続けていく事だろう。