146「10・23 周南の奇跡/1」
これまでこの世に流れていた全ての時間は、その瞬間を迎える為だけに費やされてきた。
2005年10月23日。
衝撃的過ぎた邂逅の日から2年と10ヶ月。
我々のあらぬ不安や、懸念や、過度の期待感などを物ともせず、
たゆまぬ努力、溢れる個性、そして無尽蔵のパワーを常に傍らに抱きながら、
ここまでの道程を歩んできた彼女が迎えた、それはまさに運命の瞬間。
割り箸をくわえ、頬を紅潮させながら「鬼の菅井」のスパルタに耐えていた
あの頃の面影を微塵も覗かせることなく、
完全無欠のモーニング娘。6期メンバー・道重さゆみは、
伸びやかに、そして爽やかに、名曲『ふるさと』一番の聴かせ所を、
文字通り、ふるさとのステージで唄いきった。
自然と溢れてくる涙を拭う事もせず、ボキは祈るような思いでステージをじっと見つめ、
そして呟いたのだ。
「本当によかった…」
「あの頃から考えればマシにはなったよね」という人がいる。
十ヲタ十色。別に人の多様な考え方に目くじらは立てない。
けれど思うのだ。「浅いな」と。
音痴だった少女が、人に聴かせられるだけの歌を唄えるようになるまでの
感動的な成長物語。そしてその華々しい完結…
彼女が周南で見せたステージの持つ意味とは、
もちろん、そんなイージーかつ陳腐なものなどではない。
確かにそういう側面もあるにはあるが、
そんな程度の話なら、そこいら辺に掃いて捨てるほどあるし、
別にその主人公が道重さゆみでなくとも一向に構わない。
第一、彼女には、そんなありふれたエピソードなどこれっぽっちも似合わないのである。
彼女が今、『ふるさと』のソロを唄うという事の意味。
それは、道重さゆみという存在が、我々に呈示する「現代の奇跡」なのだ。
表現は大げさであるかも知れないが、少なくとも、あのオーディションの頃の
彼女を知る者たちには、彼女が『ふるさと』をソロで唄いあげるという事実の持つ
「重大性」を、多少は理解してもらえる事であろう。
そして、そんな奇跡の瞬間を、運良く目の当たりにし、彼女の見せた奇跡の
まさに「生き証人」となれた数少ない人間のうちの一人として自分が居られるという事の幸せを、
4日を経過した今になってもまだ、ボキはしみじみと噛み締め続けている。
思えば彼女の奇跡の始まりは、2年前の冬。
オーディションの為に、初めて彼女が、山口から上京してきた日の事だった。