144「一寸の虫にも五期の魂〜高橋愛の「自覚」」



高橋愛Wikipedia



どの要素をとってみても、笑ってしまうくらいに
ポジティブな面というものを全く見出せなかった「矢口の一件」だが、
反面教師の教訓としては、モーニング娘。に一つだけ大きなものを残した。
それは「何事も最終的には自分の力である」
という、誰もがつい忘れがちな、ごくごく当たり前の事。
矢口のその、全盛期の東尾ばりに強烈なビーンボールは、
モーニング娘。というグループの危機感を煽る効果としては十分すぎた。


突如リーダーを命ぜられた吉澤ひとみにしても、ゆくゆくはの思いはあったにせよ、
まさかこんなに早くに、責任と統率力を求められる位置に立とうとは夢にも思わなかったはずで、
中堅メンバーとしてサブで矢口を支えつつ、自分がメインとして表に立つ必要がない時間には、
彼女の活動の拠り所にもなっているフットサルをいろいろな意味で「本物」にするのに注心したい。
少なからず抱いていたであろう、そんなささやかなビジョンも、
ビーンボールに敢え無く吹き飛ばされ、モーニング娘。の面倒も、
フットサルの面倒も、全部見なくてはいけなくなってしまった彼女にはきっと、
無意識に他人を頼るという行為の脆弱さと、何が起こっても自分の力で対応できるだけの
柔軟な適応力が常に必要とされるのだという事が、身に染みて実感できたであろうと思う。
そしてその影響は、主軸としてモーニング娘。を推進させ始めようとしていた
5期メンバーに対しても及んだのは言うまでもない。
ただ、モーニング娘。にとって幸いだったのは、5期メンバーたちには、
すでにそういう意味での「自覚」が、おのおのに確立されていたという事であろう。
小川が一時避難的とは言えイロモノ路線に、新垣がモーニング娘。を好きでい続ける事に、
紺野がほんわかとした自らのキャラに、それぞれが「自分の進む道」を見出し、
それまではなんとなく「誰か頼み」という印象を拭えなかった5期メンバーが、
すでに自らで動いていける存在となっていたからこそ、
激震が起こったグループにあっても、大きく動揺することがなかった。


そんな中で、高橋愛が見つけた自覚。
それは、自らがグループの「要」であるという事であった。


歌とダンスの中心的役割を担い、
グループとしての集団美の核となる存在という意味においての「要」。
一員としてグループの質的向上を目指すべく、
常にグループを見渡して的確に状況判断のできる、言わばグループの頭脳役としての「要」。


自分の存在こそが、今後のモーニング娘。の浮沈の鍵を握る。
おそらくその事を彼女はしっかりと、はっきりと自覚し、
そういう存在足りうる精神と行動を、彼女は日々実践している。
そして、今のモーニング娘。にとって、自らがそういう極めて重要な存在なのだと悟った時から、
彼女はただの5期メンバーではなくなった。


また、普通そんな自覚などは単なる嫌味として片付けられてしまうし、
ややもすれば、それが自らへの過信となり、ビッグマウスがやがて身を滅ぼしてしまう…
なんて事も決して無くはない話ではある。
だが高橋愛には、そういう嫌味な部分や、過信している素振りなど、
自信に満ちた人間だけが持つ特有の「鼻につく」態度は微塵も感じられない。
彼女はどこまで行ってもやっぱり、素朴に福井弁を喋るいつもの高橋愛であり、
彼女に対するあらぬ反発を寄せ付けない要因は、そういう得なキャラクターにもあるのかも知れない。


いずれにせよ、それらの事が自信に繋がっている今、
高橋愛は凄まじいまでに眩く、そして美しい輝きを放ち続けている。
そして、その輝きの先に見え隠れしている「明るい未来」のうっすらとした輪郭に、
ボキは大いなる期待を寄せてやまないのである。