142「一寸の虫にも五期の魂〜新垣里沙の「娘。愛」」



新垣里沙Wikipedia



メンバーに一番近い場所にいるモーヲタ
日本で今そう呼べる者はただ一人。新垣里沙を置いて他にはいない。
なんてったって、余りにもモーニング娘。が好き過ぎて、
メンバーそのものになってしまったというのだから、
世のモーヲタからしてみれば、これほど羨ましい話もないというものだ。


もちろん、彼女以外のメンバーも皆一様にモーニング娘。を愛してはいる事だろうとは思う。
6期の3人や久住小春なんかは、それこそファンとしてグループを見つめ続けてきて、
いつかは私も…という思いからオーディションに挑んだクチだろうし、
グループの初期から最盛期あたりまでを彩ったメンバーからは
「青春だったモーニングを、これからも変わらず愛していきます」的な言葉も聞かれたりする。
まあ当たり前の話ではあるけど、メンバーたちはみんなそれぞれに
モーニング娘。というグループに対しての「深い愛情」を抱えている。
ただ、他のどのメンバーの想いも、新垣里沙のリアリティに溢れたヲタ発言の前には、
嘘っぽいとまでは言わぬまでも、そのアンリアルさは否めないという印象を抱いてしまうのだ。


例えば、卒業文集に「モーニング娘。になりたい」と書いたその数日後、
願い見事に通じて、オーディションに合格したという辻希美の話はあまりに有名だが、
それは、当時12歳の普通の少女だった辻が、メディアで接近遭遇し魅了されたのが
たまたまモーニング娘。だっただけだ、という可能性も決してなくはない。
という事は、その時に辻がもしもDreamにハマっていたとしたら、
あるいは彼女はavexのオーディションを受けていたかも知れないという事になる。
「そんな事あるわけねえだろ、アホ」の声はごもっともなところではあると思うが、
少なくとも、一般人だった辻希美が、モーニング以外のグループを追いかけるというシナリオは、
それが例えミクロの確率であったとしても、全くナシという事ではないはずなのだ。
では同じ発想で、モーニング娘。に全く興味のない新垣里沙というのを想像してみる時、
果たしてそれは、どこをどういじくり倒してもやっぱり「ありえない」と言わざるを得ないのである。
メンバーになってから後も、コンビニで自費を使ってトレカを買っていたという「逸話」を
持ち出すまでもなく、新垣里沙という少女を形作っている底流には、
モーニング娘。というアイドルグループの存在が大きく横たわっているのは間違いない。
言わば「モーニング娘。あっての」新垣里沙
だからこそ、彼女が言う「モーニング娘。が好き」には一点たりとも曇りがないし、
他人とは異質の、重い説得力を有しているのだ。


加入当初の「新垣バッシング」の事など知らない、
あるいは、もうすっかり忘れてしまったという者も多いかも知れない。
彼女ら5期メンバーのお披露目となったコンサートツアーにおいて、
新垣のMCの際に口汚いヤジが飛ぶというシーンが、信じられないだろうが本当に展開されていた。
それに加担した、あるいは賛同したヲタ共は、タレント活動をしていた新垣が、
いわゆるコネでモーニング娘。に入ったのではないかと憶測し、
オーディションの公平性を盾に、さもそのバッシングが正しいものであるかのように振る舞っていたが、
今から思えば、それはたぶん、当時のヲタにとっての安寧の象徴だった9人体制のモーニング娘。に、
異物たる5期メンバーが入ってくる事へのおぼろげな不安と嫌悪。
それを当の5期メンバーへの「八つ当たり」するための単なる正当化論理だったように思うし、
その中でも特に、芸能活動で目立つ存在だった新垣が標的にされた。というのが本当のところだろう。
あるいは、ファンが講じてメンバーになったという、
そのトントン拍子っぷりへの下品なやっかみ、というのも少なからずあったと思う。
とにかく、加入してすぐの新垣は、「見る側」と「見られる側」の
ギャップのあまりの大きさに、思い悩み、そして戸惑ったに違いない。
だが、彼女はくじけなかった。
ブーイングに耐え、そして、ヲタと演者、立場は変われど
モーニングを愛するという気持ちを捨てずにやってきて、そして現在。
ひたむきに磨いてきた素質は順調に開花し、同期の高橋愛とともに、
今やグループの「歌の要」を担うまでになった。
当然、今では彼女の事を「コネ垣」などと呼ぶ者は一人たりともいず、
メンバーに一番近い場所にいるオモシロモーヲタガキさん】として、みんなから愛される存在になった。


彼女がモーニング娘。史上最悪の大バッシングにも耐えられた最も大きな要因。
それはやはり「モーニング娘。が好き」という強い思いなのだと思う。


彼女が永遠に「娘。愛」を抱き続ける事。
「好きこそ物の上手なれ」の言葉を持ち出すまでもなく、
それは、彼女自身の実力、そしてグループの持つポテンシャルの果てなき上昇を意味し、
同時に、ドライに徹する事が美徳であると勘違いしている昨今のヲタに一石を投じる、
魂のモーヲタ新垣里沙の「これが私の生きる道」でもあるのだ。