140「一寸の虫にも五期の魂〜序章」



一寸の虫にも五分の魂(「ことわざわーるど」)



2001年に行われた「モーニング娘。LOVEオーディション21」は、
その前年から始まった、いわゆる「モー娘。バブル」の集大成的イベントであり、
そして同時にその終焉でもあったとボキは考えている。


1999年に『LOVEマシーン』が、アイドル歌謡としては
考えられないほどの空前の大ヒットとなり、そこから一気にスターダムにのし上がったモーニング娘。
翌年の「個性の宝庫」4期メンバー加入が人気に更なる拍車をかけ、
『恋のダンスサイト』、『ハッピーサマーウエディング』。
さらにグループ内ユニットのプッチモニがリリースした『ちょこっとLOVE』や
ミニモニ。の『ミニモニ。ジャンケンぴょん』と、ミリオンセラー級の大ヒットを連発。
テレビラジオの冠番組も続々とスタートし、主演映画の全国公開、CMキャラクターへの起用、
日本武道館でのコンサート、シドニーオリンピックのイメージキャラクター…と、
つい1年2年前には「もう終った」と思われていた色物アイドル集団が、
まさに引く手数多の国民的アイドルへと変貌を遂げていった時期。
そんな2001年の初夏。その人気が頂点に達したと言っていい時期に告知された
モーニング娘。LOVEオーディション21」には、
当時のモーニング娘。の勢いそのままに、実に25,827通もの応募が殺到した。
ASAYANに変わり、前年からスタートしていたモーニング娘。司会の歌番組
『MUSIX』内でオーディションの模様は逐次フォローされ、
そして8月の最終審査の模様は、なんと2時間枠でのオンエア。
今までASAYANの中で割とこじんまりやっていたオーディションを、
これでもかとばかりに大々的にショーアップし、あろうことか司会にみのもんたを起用するという
空前の事態にまで至った。説明の必要もなく、彼は今、日本のテレビ界で一番稼ぐ男であり、
その番組規模と合わせて考えれば、このオーディションには、
一介のオーディション番組という範疇を遥かに超えた予算が投入されていた事は容易に想像がつく。
そして、最終審査に残った中から見事に4人が合格の栄冠を勝ち取った。
しかし、後に5期メンバーと呼ばれることになる彼女たちにとって、
夢にまで見た芸能界入りのパスポート獲得の「記念すべき瞬間」であるはずの
このオーディションの合格が、その長く厳しい試練の日々の始まりとなってしまった。


2001年のモーニング娘。は、中澤裕子が抜けて新体制となり、
リーダー・飯田圭織を初めとする初期からのメンバーが、グループを下から支える土台役に、
そして後藤真希と4期メンバーがその推進力を担う形になっていた。
そういう時期に新メンバーとして入ってきた5期の4人は、
モーニング娘。での自分のポジションを獲得する為、自らの実力を磨くのはもちろんの事、
先輩メンバーたちのパフォーマンスと対等に渡り合う為の方法を模索しなければならなかった。
いや。それ自体は過去の追加メンバーも通ってきた道であり、
それを克服して、みんなモーニング娘。の中心メンバーとしての地位を獲得してきた。
しかし5期メンバーにとって不幸だったのは、その追いつき追い越すべき先輩メンバーが、
後藤真希であり辻希美であり加護亜依という「あまりに高すぎる壁」だった事である。
翌年に後藤が卒業すると、今度は4期メンバーがそのパワーをさらに増大させ、
4期メンたちににそんなつもりはないにせよ、後輩が抜け出して行くべき進路を
彼女たちがほとんど開ける事なく、時が流れていってしまった。
そして5期は、なんとなく地味な印象のまま加入直後の大事な時期を過ごす事になり、
実力はあれど、5期メンバーが個性を十分発揮できないそんな状況が、
グループとしてのマンネリズムを生み、パワーダウンの呼び水となる。
そして、モー娘。バブルは、ついに崩壊の時を迎えてしまったのである。


ただ、これだけは言いたいのだが、5期メンバーは追加メンバーの歴史の中で、
最も実力を持った集団だとボキは信じてやまない。
言ってみれば、生まれついた時期が悪かっただけなのだ。
4人の5期メンバーが、世が世なら天下を取れていたかも知れないとボキが考える根拠。
1人1人のメンバーにスポットを当てながら、次回からじっくりと語ってみる事にする。