133「ごっちん。」



後藤真希Wikipedia)



昨日9月23日は、後藤真希20歳のバースデー。
これで、以前コラムで取り上げた、「1985」の4人全員がハタチになった事になる。
ボキの最初の彼女に関する記憶は、彼女がまだ13歳だった頃。今からもう7年も前の事だ。


全然関係ないけど、7年前と言えばボキも若かった。
なんと言っても花の20代。いろいろな面でまだまだ「みずみずしい」人間だった気がする。
それがどうだ。月日を経ていく毎にどんどんとくたびれていき、何をするにもモッサリモッサリ。
バスや鈍行での遠征が事の外キツくなり、安く上げようと計画していても、
スキあらば新幹線や飛行機を使ってやろうと思うようになったり、
2徹3徹楽勝だった身体も今や、毎日6時間のコンスタントな睡眠を欲するように変質してしまった。
そしてなにより、7年前抱いていた「夢」や「希望」といったものが、
「現実」の前にあっては単なる絵空事に過ぎないのだという事を、さまざまな体験を通して痛感。
もはや人間として、すっかりつまらない存在に成り下がってしまった。
ボキがこの7年の間に身につけたものは、世の儚さであり、無情であり、そして現実の厳しさだった。


そんなグズグズのボキとは極めて対照的に、
後藤真希という存在は、この7年の間にポジティヴかつシャープに目覚しい成長を遂げた。


思えば7年前。ASAYANの画面に登場した彼女を作り上げていたのは、
茶髪にピアスという鮮烈なビジュアルもさる事ながら、
いかにも「現代の13歳」といった感じの、何を考えているのかイマイチ解らない雰囲気。
その風貌から、クールでドライなキャラクターなのかと思っていると、
実のところ、誰よりも人懐っこくて、甘え上手だったりするという意外性。
そして、誰に対しても物怖じしない性格。
ちなみに、あの誰もが恐れる鬼リーダー・中澤裕子を「裕ちゃん」と呼ぶのは、
3期以降のメンバーでは彼女の他に誰もいない。
良く言えば「大物感」。要は「天衣無縫で怖い物知らず」。それが後藤真希という新メンバーであった。
7年経った今はどうだろう。
まあところどころに、当時の面影が偲ばれたりする時があったりはするが、
基本的には、ちゃんとしたオトナに後藤真希は成長したというように思える。
様々な人との出会いや社会経験といったものが、
その人の人間性の成長に大きく寄与するというのは至極当たり前の事ではあるが、
「新メンバーの後藤真希」が残した、当時のさまざまなエピソードを思い浮かべてみる時、
やはり「ああごっちんオトナになったなあ」と深い感慨に浸らずにはいられないのである。


もちろん、人間的成長だけではない。アーティストとして、そしてタレントとしての後藤真希
7年前とは比べ物にならないほどのスキルアップを遂げている。
『LOVEマシーン』でのデビュー当初。
完成度は高かったものの、どこか荒削りであるという面は否めなかった。
解りやすいのはASAYANでオンエアされた『赤い日記帳』のレコーディングシーンだ。
確かに歌は上手い。しかし、歌詞の世界を表現するというスキルが皆無だった、当時の後藤真希
何度もプロデューサーからダメ出しを食らい、自宅のベッドの上で歌詞を書き写した紙を前に、
必死にその世界をイメージしようとするが、結局「わからん」と言ってベッドに突っ伏してしまう。
それから数年後。モーニング娘。を去るラストステージで、
彼女はこの曲を、当時とは比べ物にならないほどの表現力で伸びやかに歌いきった。
人間的経験と自己研鑽。そして、プロデューサーを含めた多くの先輩たちの助言が、
歌い手として、アイドルタレントとしての彼女を大きく成長させたのである。


後藤真希にとって、20歳の節目であるここが一つの通過点である事は言うまでもない。
しかし、その到達点が決まっているという訳ではなく、
みんなから愛される「ごっちん」は、果てることのない長い長い道のりを
これからも全力疾走で駆け抜けていく。
そして、しばらくしてまた、次の節目を迎える時、
一段と成長し、例えその佇まいが大きく変わっていたとしても、
ハロプロごっちん」という存在のままでいて欲しいものである。