128「木を見て森を見て、そしてまた木を見る。/後編」



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いろんな女性タレントを見るにつけ、まず一つ思うのは、
どんなに失速論や終末論が囁かれていても、またどんな批判が渦巻いていようとも、
ハロプロのタレント陣はあらゆる面でレベルが極めて高いという事である。


ものすごく解りやすい例が、日頃からボキがなにかと目の敵にしているフットサルである。
活動としてのフットサルを認めることはなくとも、
ガッタス以外のチーム、すなわち他の事務所の女性タレントたちと、
タレント集団としてのハロープロジェクトの「レベルの違い」が明確になるという意味では、
もしかして必要な場所なのかな、とマジで思ったりもする。
確かに、ガッタスのメンバーより美形なのも、キャラが立っているのも他チームには存在するかも知れない。
しかし、総合的に比較をしてみれば、ハローのメンバーに敵う者はおそらく皆無であろうと思う。
洗練されたタレント性。放つオーラに満ち溢れるのは、我等こそがカテゴリのトップランナーなのだという自信。
そしてもちろん、厳選された美しい容姿と個性的なキャラクター。
ただカワイイ、ただオモロイだけでは絶対に体言できない雰囲気を備えているのがハローのメンバーであり、
フットサルでは他のチームとは接戦の域に達しているのかも知れないが、
タレントとしての格という事で言えば、ガッタスの足下にも及ばない者だかりだと言っていいと思う。


しかし、それと同時に思ったのは、個性派の集まりだと思っていたハロプロが、
実は意外と平均点勝負の集団なのかも知れないという事である。
もともとモーニング娘。ハロプロというのは、メンバー皆どこかしらにウイークポイントを持ち、
それを克服していくドラマこそが醍醐味であった。
そして、まだまだ完璧には程遠い、荒削りの魅力が開花するまでの軌跡を追体験していく事に
ファンのそこはかとない喜びがあったりしたものだが、
ここ最近はオーディションで「エース」を探すなんて標榜したりしているように、
いきなりから新人にもある程度の完成度を要求するようになってきた。
それは、レベルの高さを追求するという側面ももちろんあろうが、その一方では、
ハロプロの基本線とも言うべき、突出した負の個性(例えば歌の良し悪しとか)を
極力消していこうという動きに見えなくもない。
カテゴリのトップランナーであるからこその守りの姿勢と言えるかも知れないし、
それはそれで悪いことではないのだろうが、
今、女性タレント界は、正統派からキワモノまで、独自の個性で勝負するのが主流になりつつある。
グラビアならば、ただ単に普通の女の子としてやるのではなく、
不思議ちゃん系や女ヲタ系のキャラクターで出してみたり、
あるいは女優系ならコント番組に積極的に登場して、そのギャップで勝負してみたり…
という具合に、とにもかくにもまずは個性勝負!といった趣きである。
そういう中、ハロプロ的に今後個性を薄めていく方向性なのだとすれば、
当然それはネガティブな要素になるのは間違いがない。もちろん、本当にそうなる可能性は低いだろうが。


まあ、いずれにしたって、ハロプロの牙城は今しばらく揺らぐことはないだろうし、
その存在を脅かす影も今のところは現れてはいない。
それは井の中の蛙としてではなく、冷静に大海に耳目を向けてみて感じた思いであり、
絶対的自信がある。


なぜなら。


もし仮に、ハローを脅かす存在が本当に現れているのだとするならば、
たぶんボキはすでに、そちらに「なびいて」しまっているだろうと思うからに他ならない。