125「柴田あゆみのファンは幸せ者なのだ、というお話。」



柴田あゆみWikipedia



己への過信から生まれる上辺だけのそれではなく、
様々な経験や鍛練。さらに挫折というものを通して身についた「本物の自信」というものは、
時としてその人の持つ潜在能力の最大値を大きく引き上げる事がある。


例えば、柴田あゆみ


「NEO」となった秋のキャプテン公演で、彼女が『香水』を伸びやかに歌い上げる姿を見ていると、
【経験→自信→実力】という「ポジティヴサイクル」の素晴らしさ、
あるいは、そのサイクルの持つポテンシャルの高さというものをとてもリアルに実感させてくれる。
そして、彼女の掌中に収まった好循環の終端を予感させるファクターは
現時点では何一つ見当たらず、自信に裏打ちされた実力の向上は、
よほどの大事が起こらぬ限り今後も止まることはないであろうし、
そして、同時にそれは、
彼女が属するメロン記念日の「明るい前途」をも意味しているのは言うまでもない。


少し前まで、大方のファンの持っていた彼女に対しての印象は、
ハロプロ内でも一、二を争う美形ながらも、歌唱力に難アリ」
といったものでなかっただろうか。


ヲタ諸氏には失礼ながら、メロン記念日というグループそのものが、
一般層はおろか、ヲタの認知識別範囲内においてすらも非メジャーな存在の中に位置してきた過去があるし、
そういう状況下で、他の3人のメンバーが個性勝負に適したキャラを持っている中、
彼女はカワイイという事以外、特に強力な「武器」を持ちえず、
潜在的ファンは多くとも、ハロプロという大集団の中にあっては、
悲しいかな埋没の傾向にあったような気がする。
そして、無理くり彼女が着ることになった個性が「歌が下手」だったというのだから、
ずいぶんとかわいそうな話ではある。


話は逸れるが「音痴」と「歌唱力がない」というのは全く別モノだとボキは思っている。
音痴とは、先天的に音(音楽ではなく)に対する能力やセンスが全くない、
もしくは著しく欠落している状態の事を言う。そしてここが大事なのだが、
音痴というのはたぶん矯正できないものなのである。
オーディション当時の道重さゆみも、どちらかと言えば「音痴」に近かったのかも知れないが、
短期間にアイドル歌手として標準レベルの歌唱ができるまで成長したあたりを見ると、
たぶん音痴という訳ではなくて、歌唱力が極端になかっただけという事なのだろう。


翻って柴田あゆみ。彼女もやっぱり歌唱力に乏しかったクチだった。
メロン記念日が世に出た当時のハロプロは、モーニング娘。の結成動機の流れに沿う形で
「歌が唄える」事が絶対命題であり、歌の実力のない者は皆無だった(ように思う)。
そういう時代だったからこそ、多少の歌唱力の乏しさが余計目立つ恰好となり、
彼女自身、相当悩んだ事だろう。しかし、めげずにレッスンを続け、
そしてグループのメインボーカルに抜擢される事で、大きな自信をつけた
彼女の歌唱力は確固たるものとなった。
確かに、時代が移ろい、歌の上手さが以前ほどは重要視されなくなったという
ハロプロの現状」も追い風にはなっているのだろうが、
それ以上に彼女の歌のスキルアップは凄まじく、もはや彼女の歌声に誰もヘタクソとは言わない。
それはそうだろう。
今の彼女は「ハロプロ内でも一、二を争う美形であり、歌唱力もアリ」という存在。
そう。それはつまり「完全無欠」という事なのだから。


しかし、柴田あゆみは、そんな完全無欠の自分に驕ることなく、
この先、どのような変化が自分の身に降りかかろうとも、
メロン記念日というグループとともに、弛まぬ進化を続けていくに違いない。
そして、そんな彼女の成長の軌跡を、どこまでも見続けている事ができてしまう
全ての柴田あゆみファン、メロン記念日ファンは、なんてシヤワセなのだろうかと、
ちょっと羨ましく思ったりするのもまた、偽らざる本音なのである。