115「『ひとりじめ』〜美勇伝4thシングル」



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テーマは『セクシーバスガイド』なんだそうである。
たぶん楽曲のコンセプトとビジュアルイメージにはなんの関係性もないのだろうし、
そんな事はハローにおいては今に始まった話でもないから、
その事をとやかく言うつもりはない。
問題なのはこれから先の美勇伝の「身の振り方」の方である。


いやいや順風満帆すぎるくらいのこれまでだし、行く道だってしっかり定まってる…
と、誰しもそう考えているはずだ。けれど、デビュー1年が過ぎ、
そろそろ固まってきた美勇伝の「トータルイメージ」を思う時、
このままで本当に大丈夫?の思いを抱いてしまうのは、あるいはボキの取り越し苦労なのだろうか。


結論から言ってしまえば、セクシーの安売りは良くない。という事である。
確かにボキは、これまでハローの中に存在してこなかった「ノーブル&セクシー」の路線を
美勇伝が見事に華開かせた事は大変素晴らしく、称賛に値するものだと常々言ってきた。
しかも、石川梨華という主軸を除いては、それが既存のハローのメンバーではなく、
ニューパワーによる功績だというのだから、
美勇伝というユニットの秘めるポテンシャルのすごさを改めて実感せずにはいられない。
それは確かにそうなのだ。


しかし、である。
セクシーである事が特徴ではあっても、それを売り物にしてしまってはいけないとボキは思うのだ。


セクシーさなんていうものは、「麻雀のドラ」みたいなもので、
他の長所やセールスポイントを増幅させたり、
個性のアクセントとなったりする、言ってみればおまけ的なものなのだからして、
それだけで勝負する芸能人なんていうものは、所詮底が知れている。
「タンピン三色」と「リーチのみドラ3」では、
例え同じ点数であったとしても、その芸の濃さは雲泥の差なのである。
もちろん、美勇伝がそんなドラ頼りの存在だ、なんて風には絶対に思わない。
美勇伝には、セクシーという手駒を例え無くしたとしても、他に誇れるべき、
そして芸能界で十分に勝負できる武器が備わっている事に間違いはないのだ。
ただ、最近どうも、セクシーである事を殊更に強調するような雰囲気を、
ユニットとして演出しているような気がしてならないのである。
岡田の「キュ」のギャグのように、パロディとして昇華できるものならまだいいが、
衣装やダンスなど、ユニットとしての美勇伝の根幹イメージが、
セクシーという要素だけに囚われてしまう事はいささか問題だとボキは考える。
数多いる「セクシーだけを売り物にした芸能人」に対して我々が持つイメージを想像すれば、
ボキの持つ危惧はなんとなく解ってもらえるだろうと思う。
なんか安っぽくて、軽そうで、頭が悪そうで…
セクシーを強調し過ぎるという事は、一方でそんなイメージも与えかねないのである。


「過ぎたるは及ばざるが如し」の言葉もある。
もちろんセクシーである事は大事だが、
一歩間違えれば薄っぺらい評価しか得られなくなるのだという事を、
美勇伝(それは演者も作り手もである)には常に深く意識しておいて欲しいと、
心からそう思ってやまない。