110「保田圭」



保田圭Wikipedia



保田圭の事を書こう書こうと思いながら、なかなか文章にできなかったのは、
彼女を見続けた時間が長かった分だけ、思い入れが他のどのハローのメンバーよりも深く、
そして彼女がボキに与えてくれた様々な物が、小手先だけの稚拙な文章では
とうてい表現できないほどに大きいものだからである。
今ボキには道重さゆみというれっきとした「推しメン」が存在する。
しかし、現在のボキが彼女に抱く感情と、当時のボキが保田圭に抱いていた感情は、
全くベクトルの違う「似て非なるもの」だ。
あの頃の保田への想いは、萌えやキャワといった部分を軽々と超越した、
リスペクトの念そのものであり、加入から鬱屈期を経て、イジられキャラとして大成するまでの
艱難辛苦の道のりをリアルタイムで目撃してきた時間の流れが、
ボキをどんどん保田圭にハマらせていったのだった。


考えてみれば、保田はハロプロの中でも屈指の歌の上手さを誇るのに、
彼女が本格的に一人で唄う姿を見たり聴いたりした者は驚くほど少ない。
モーニング時代はもとより、ソロとなった現在も、
グループ時代よりは遥かに歌声を聴く機会が増えたとは言え、
ソロになったメリットを感じられるほどには彼女の歌声が響いてこない現実がある。
ボキに限らず、彼女を愛した者の多くは、おもしろキャラや女優姿よりも、
やはり唄っている姿が見たいと感じていると思う。
勤め人にとっては、なかなか手の出ないカジュアルディナーショー
伸びやかに彼女が唄っていたという話を聞くに及んで、
羨望と嫉妬の入り交ざった、なんとも複雑な心境に陥ったし、
そういう場所だけでなく、もっといろいろなところで彼女の歌に触れたいと常々思っているのだが、
なかなかそううまくいかないのが恨めしい。
ただ、彼女の歌の上手さが、メインボーカリストへの道を閉ざしてしまっているという向きも感じたりするのだ。


はっきり言えば、今のハローに確固たる歌唱力というものはあまり必要がない。
耳と心にしっかりと残る歌声よりも、楽曲と融合し、より良いグルーヴを引き出せる、
言ってみれば「都合のいい」歌声が求められる時代。
歌の上手い保田圭は、前田有紀のように歌唱力勝負の方向に行くのか、
稲葉貴子のように唄って踊れてオモシロもできるスーパーサブの道を歩むのか、
はたまた大勢に靡き、都合のいい歌い手として妥協の道を進むのか。
いずれにしたって、あまりポジティヴではない選択肢の待つ一本道を、
彼女はそれでもひたむきに進み続けているのである。


彼女が歌を取り返す日。それがいつになるかは解らないが、
歌手・保田圭が正式に動き出す日は、そう遠くない将来絶対にやってくる。
その時、初めて彼女の本域の歌に触れた者すべてが
「保田ってすげえ」と感嘆の声を上げた時、
ボキはきっと小さくガッツポーズを作って、こう言うに違いない。


「歌上手くてビックリしただろ。どうだまいったか」