108「ヲタ芸論争を斜め読み」



ヲタ芸とははてなダイアリー



ジャンプや手足を振り回すなど客席での大きな動き。
コンサートの進行を著しく妨げる奇声。そして高々とボードを掲げる行為など
「迷惑」な行為を、主催者公式として全面的に禁止し、
それらの行為を防止するべく、屈強な場内係員を何十人と会場に配置。
上記のような行為があろうものなら直ちに排除し、万人が快適に楽しめるコンサートを作る…
ヲタ芸も含めた、会場内のいわゆる「迷惑行為」をなんとかしたいという
巷の意見を解決する為には、おおよそ、そのような措置が必要であろうとボキは考える。


つまりは程度問題なのである。


どの程度の行為が迷惑なのかの尺度が、受け取る人間によって異なる以上、
どれだけ論争や議論が重ねられても、着地点が見出されることは絶対にありえない。
もちろん人を殴ったり蹴ったり、あるいは故意に傷つけたりなんていうのはもっての他だし、
客席で飲酒したりといった、社会通念上「それはダメでしょ」と言われる行為は
許されない事であり、それを糾弾する事は理にかなっている。
だが、ヲタ芸が迷惑なのかどうかというのは、
ヲタ芸をする者しない者、そしてヲタ芸はしないけれど容認する者しない者、
それぞれで意見は確実に分かれるはずだし、それを無理矢理イコライズして
総意のように正当化してしまうのは極めて不健全だ。
迷惑行為を完全に駆逐したいのであれば、オフィシャルな存在が
統一見解として会場内の振る舞いにおける一定のルールを敷き、
それを確実に履行させていくしか方法はない。
曖昧模糊とした程度問題ではなく、より明確に善悪が図れる物差しを作って、
誰が見ても「ああこれは迷惑」「いやこれは迷惑ではない」と判断できるようになれば、
無用な揉め事は避けられるに違いない。


個々のモラルがどうとかいうのはあまりにもナンセンス。
そんなものがしっかり機能する世の中ならば、凶悪犯罪も起こらないし、不景気にもならない。
モラルを逸脱するからこそ人間なのであり、その暴走を抑えるために法律が存在するのだ。
迷惑な事をしているヤツが鬱陶しいと思うのなら、
事務所なりイベント制作会社なりの力を借りて会場内の「法整備」を考える事である。
だが果たして、そんな法に縛られたようなコンサートに人は集まるだろうか。
クラシックや芝居ならばともかく、ノリで盛り上げるコンサートに、
必要以上の縛りを設ける事が、果たしていい結果を生み出すものなのか。
当然そこには、大きな疑問符がつく。


前にも書いたが、
ヲタ芸のせいでコンサートを楽しめなかった」という物言いをする人たちには、
ヲタ芸を凌駕する自分なりのライブの楽しみ方を見つけてはどうかと提案したい。
あの閉塞された空間の中、2時間足らずのライブをどのように味わうのか。
そこにグッと神経を集中させていれば、きっと他人の事なんて目に入らなくなるはずである。