091「クサいと言われようが、キモいと言われようが。」
ポジティヴな事であれ、ネガティヴであれ、
明日何が起こるかわからない「パルプンテ要素」が魅力のハロプロ界隈だから、
それもこれも、ぜーんぶ楽しんでいけばいいという考え方は、
ボキも無粋な人間でないという自負はあるつもりだから、理解はできるし、
自分も常々そうあらねばとは思ってはいるのである。一応は。
ただ、一定程度まではそう振舞えても、ある瞬間になると、
ふと自分がハロプロと共に生きてきたここ数年の間に、募らせてきた想いが胸に去来し、
気がつくと「いかん。楽しんでる場合などではない」
などと考える自分がそこにいたりするのである。
それがスタンスの差である事は解っているし、
むしろ本当は、ハロプロの楽しみ方としては、前者の方が
正しいベクトルを向いているのかも知れない。
しかし、である。
楽しめるというその一点だけで
「どんな事が起こったとしてもオッケー」というドライな割り切り。
例えば、不祥事を起こしたメンバーが、謹慎したりだとか
グループを脱退したりした時に「それもハロプロやん」などと、
その事象を面白がる精神というものをボキはどうやっても持てないのである。
その理由は簡単。
ボキの中で、ハロプロ、中でも特にモーニング娘。は
もはや単なるエンターテインメントではなくなっているからだ。
恥を覚悟で言う。ボキにとって、モーニング娘。とは「人生の全て」であり、
モーヲタであり続ける事を、ライフワークだと真剣に思っている。
メディアの向こう側と常に真剣に向き合い、
メンバーが伝えようとしている事の全てを、余すことなく全て受け止める。
そして、CDを買う、コンサートに行くといった、
さまざまな形で彼女たちに募らせる想いをフィードバックしていく。
楽しいときには共に笑い、悲しいときには共に泣く。
モーニング娘。が辛いときには、その辛さを共有できる存在でありたい。
そう願って、ボキは日々ヲタとして生きている。
ボキの中でモーニング娘。やハロプロは、茶の間でくつろぎながら、
ああだこうだと御託を並べつつ楽な姿勢で楽しむ、
そんなお手軽な娯楽ではなくなってしまった。
だからこそ、マジになるところにはマジになる。
ある意味、それは必然なのである。
そしてボキは、そんなヲタとしての自分自身の生き方に、
ちょっぴり誇りを持っていたりするのだ。
こっ恥ずかしいから、もちろんここだけの話だけど。