089「美勇伝1stコンサートツアー2005春〜美勇伝説〜/客之章」




どれだけステージパフォーマンスが素晴らしいものであっても、
演者の力だけでは決して成立しないのがライブというものである。
そのステージの下―――すなわち、オーディエンスのライブへの積極的な参加なくして
ライブの物理的成功はありえない。


ライブの客は、客であって客ではない。


ライブの観客とは、そのライブを一緒になって作り上げるために存在する、
いわば「もう一人の演者」なのである。
金を払っている客なのだから、何もせずともサービスを供されるのは当然…
などというヤクザな考え方は、
ことライブという空間においては、すぐに捨て去るべきである。
またそういう考えが抜けきれないような人間は、
ライブになど来るべきではないだろう。


話は変わるが、このコラムを立ち上げた頃、
テキサイ界隈で「コンサートでのお作法」についていろいろ議論された事があった。
話の詳細は忘却の彼方だが、その議論を眺めながら
「なにをアホくさい事を…」と思っていたのだけはよく覚えている。
オークションで何万という金額で落としたチケであっても、
ヲタもだちに余りを1kで分けてもらったチケであっても、
チケット1枚が持つ価値が不変なのは言うまでもない。
運良く手にしたチケットに見合う分だけライブを思い切り楽しむ事。
同じチケットを握って会場に一旦入れば、そのスタートラインは皆一緒なのだから、
後は自分なりの方法で、どれだけライブに入り込めるかなのである。
それが客のアイデンティティというものであり、
それを全うできない人間が、他人を批判する事で自らを正当化しようという姿勢は、
はっきり言って見苦しいとボキは思うのだ。


もっとも、それはあくまでライブと向き合った時の話であって、
開演前後にお祭り気分で無法を働くのはもっての他だし、
「盛り上がればなんでもアリ」という考え方の裏側には、
もちろんそれなりに大きな前提条件が存在する。


それは、ライブの盛り上がりに寄与しているかどうか。


自分だけレスが欲しいボード厨や、どんな曲においても感情を表さない「完全タイガー」などは、
ライブを一緒に作り上げるという意味においては、全く生産性のない客と言えるし、
空気を読まずただ奇声を上げたり、公演中意味なく会場内をウロついたりする事なども
盛り上げの阻害であり、これらは明確な「悪」である。
客の立ち居振る舞いひとつで、ライブは良くも悪くもなってしまう。
だから、場の空気をしっかりと読んで、
どうする事がライブの盛り上がりに繋がるのかを予測し、それを行動に移す。
「ライブの客は、客であって客ではない」と書いたのはそういう意味である。
受動的、消極的な姿勢は、ライブのポテンシャルを大きく低下させるのだ。


逆に言えば、ライブが盛り上がるための行為ならば、
ヲタ芸であろうが完コピであろうが、その方法論を問われる筋合いはないという事であり、
「この方法でライブを盛り上げるのだ」という確固たる自信があるのならば、
他人の迷惑とか、そんなものに囚われる事はないし、
チンケな批判に負けず、自信を持ってジャンジャンやればいいのである。


正直、大阪のコンサートの観客は、あんまりパッとしなかった印象がある。


特に「美勇伝のコンサートだから」と参戦しているであろう、
美勇伝ヲタの存在感がイマイチ希薄に感じられた。
持ち歌が少なく、借り物でなんとかやっている現状、
やはりヲタの力は重要なプラスアルファであり、他人の歌だろうがなんだろうが、
しっかりと盛り上がりを作ることが肝要だとボキは思う。
そして、MC中に奇声を上げたり、
独りよがりのボードを掲げたりしている余裕があるのなら、
その分のパワーをステージ上に惜しみなく注いでいくのが、
正しいヲタの責務というものであろう。


華々しく幕を開けた「美勇伝説」の行く末が、素晴らしいものとなるよう、
今週末の名古屋でのコンサートでは、ステージの上下が一体となった
「究極の盛り上がり」を大いに期待したいところである。