071「ネタ枯れな日には臆面もなく」


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なんか無抵抗に釣られるってのもなんだから、
うたばんでの矢口の事はあんまし書きたくないし、
石川の事は来週たっぷりと書くし、
かと言ってなにか他にネタになるような話題があるのかと言うとそんなのもないし、
こういうネタ枯れの日はいつも憂鬱である。
ここ数回は、矢口の事とかを結構アツく書いてきたので、
もしかすると論者として軽い燃え尽きが入っているのかもしれない。
そんな事ではいけないと思いつつ、でもやっぱ結局書くことねーわ…
とさっきからもう50回はため息をついている。
まあこういう機会もあんまりないと思うし、
今回は臆面もなく、ボキのアイドルファンとしてのスタンスを話そうと思う。


ボキがアイドルファンを名乗り始めたのは、
1985年におニャン子クラブがデビューした時以来。だから、今年で20年。
ハロプロ花の85年組がオギャーと産声を上げた年に、
ボキもアイドルファンとしての第一歩を踏み出したという訳である。
この20年、一貫して大事にしてきたのは、
対象であるアイドルをどれだけ「愛せるか」という事であり、
どんな形であれ愛がなくなってしまったら、ファンとしてはおしまいだと
それは今でも変わらずにそう思っている。
だから昨今、なっちや矢口の「騒動」に対するファンたちの行動については、
「愛がないなあ」と思わされる事しきりであった。


別に盲目的に全てを許容せよというのではない。
おかしいなと思う事について「それはおかしい」と指摘する事もまた、一つの愛の形である。
しかし、おかしいとは思っても、最終的にはそれを受け入れるのがファンとしての責務であり、
納得ずくで、そのアイドルの全てを受け入れる事が、ファンとしての愛情なのだとボキは考える。
なっちの件でいろいろあっても、最終的には「おかえり」と言って迎えてあげられるか。
矢口が活動を本格的に再開した時に、そこについて行く事ができるか。
ハローのヲタを標榜していながら、
「もう嫌気が差した」と、二人の行動を否定した者が少なくなかった事は実に嘆かわしく、
改めて、以前に比べヲタの質が確実に落ちていると思わざるを得ない今日この頃である。


ああ
なんとか埋まった。