053「危機感」




モーニング娘。究極のイエスマンを自負するボキだが、強いて今後のモーニング娘。
足りないものを挙げるとするならば、それは「危機感」ではないかと思うのである。


かつてのモーニング娘。は常に危機感と隣り合わせの存在だった。
そもそもASAYANという番組の「企画のネタ」として、さんざんぱら作り手たちに弄ばれて来た歴史がある。
加入、卒業、シャッフル、対決。そして結束の必要なメンバー同士でさえ
ライヴァル視せねばならないシチュエーション…
常に「明日の私たちは誰かの手によってどうにかなってしまう」という
極限までの猜疑心を曝け出していたのがモーニング娘。の言わば醍醐味であったし、
その翻弄される姿に感情移入し、ファンたちはモーニング娘。の魅力に溺れていったのである。
しかし、モーニング娘。が強烈なムーヴメントとなった2000年を境いにして、
その状況は嘘のように一変する。


「なんでもアリ」が許されぬほど巨大利権と化してしまったモーニング娘。は、
少しのバランスの崩れも許されない極めて危うい存在となり、
以前のような、奇をてらった危機感の演出は逆にデメリットを産む危険性を孕みだした。
また、ASAYANのようにその危機感を絶妙にアシストするメディアがなくなってしまった事あって、
以降、メンバーたちに植えつけられる危機感は
「誰かにセンターを取られるかも知れない」「このままテレビに映らないかも知れない」といったような
モーニング娘。内で完結するものに終始するようになった。
確かにその部分の危機感も重要ではある。しかし、それはあくまでも自らが
モーニング娘。のメンバーとして存続している、あるいは今後も存続していくという事を
前提条件とした上で抱く危機感であり、それ以前に「自分はモーニング娘。にこのままいられるのか」
という危機感に乏しいのが、現体制のモーニング娘。なのではないかと思うのだ。


リーダーの矢口だけが初期の究極の危機感時代を知る唯一の存在であり、
サブリーダーの吉澤より以降のメンバーにとっては、
外的要素が与える危機感をリアルには感じられない事だろう。
5期6期の低迷みたいな事が言われて久しい。
その背景にはきっと、そういう危機感の欠落みたいなものがあるのではないだろうか。
ムーヴメントもピークを過ぎ、モーニング娘。が安定期に入った今だからこそ、
特に新しいメンバーたちに「明日どうなるのか全く見えない」というような、
究極の危機感にも力強く挑んでいけるよう、スキルアップをはかってもらいたいものである。