047「アイドル歌謡」



前々からちょこちょこと書いてはいるが、今回は改めて、
ハローの楽曲について考えてみる事にする。
同時にそれはボキのアイドル歌謡についての公式見解でもある。
異論反論は多々あろうが、まあまずはじっくりと読み進めていただきたい。


まず最初にはっきりとさせておきたいのは、
モーニング娘。ハロー!プロジェクトメンバーは皆全て「アイドル」だという点である。
無論まもなく32歳を迎えんとする中澤裕子とて例外ではない。
ハローに属する限りは40であろうが50であろうが紛うことなき「アイドル」だ。
まずこの部分を認める事ができるかどうかである。
この前提を踏まえ、ボキの持論はこうだ。


「アイドル歌手に、歌唱力もCDセールスも不要。唯一求められるものは、
与えられた楽曲を指示された表現方法によって忠実に再現できるかどうかの能力のみであり、]
その一点こそがアイドルとして最も必要な素養であり能力である」


つまり、つんく♂なりもっと上の存在の人物が
「ここはこういう感じで行こう」と決定した絵図を、自分のスキルを駆使して
どれだけカンペキな 形で再現できるか。それだけが評価の全てであって、
例えば歌が上手かろうがヘタだろうが、CDが何万枚売れようが
それが彼女たちへの絶対的な評価には決してならないのである。
むしろ、ソツなく無難に唄いこなされた歌に魅力は感じられないし、
いくらミリオンヒットを飛ばしたとしても、当たり障りのない楽曲ならば
評価には値しないだろう。


アイドルにとって最も必要なものは歌唱力ではなく「表現力」なのである。


与えられた楽曲を表現する力に秀でていれば、多少歌に難があっても問題はない。
そしてハロプロメンバーたちは、非常にクオリティの高い表現力を
ほぼ全てのメンバーが兼ね備えている。
そしてそんな彼女たちの「鬼コーチ」がつんく♂Pという訳である。
そのつんく♂も不要論が巷でよく聞かれるが、
はっきり言ってつんく♂以外の誰かがプロデューサーをやっていれば、
きっとここまでの実力者集団にはならなかっただろうし、
少し下世話な感じのつんく♂流プロデュースあってこその、
モーニング娘。ハロプロだとボキは思っている。


あるいは、そのあたりの理解に苦しんでいる、
どちらかと言えばアイドルファン寄りではないモーヲタが多い事も、
楽曲論が喧しく論じられる一端なのだろうか。


この話はいずれまた必ずどこかで。