046「ピンチランナー」


「ビー・バップ〜」監督の那須博之氏が死去(ZAKZAK)
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2000年・春


それはモーニング娘。にとって、そしてそのヲタたちにとって、
過去現在を含めても、最も充実していた日々であり、
その満ち満ちた時間を贅沢に過ごしてきた者たちの多くは、
当時の記憶を今も鮮明に心の奥底に映し出すことができる。


『LOVEマシーン』の今では考えられないような大ヒットを受け、
モーニング娘。という名前が一気にメジャーになった時代。
シャッフルユニットの第一弾が華々しく発表されたり、
個性の宝庫とも言うべき4期メンバーが加入したのがちょうどこの頃。
テレビやラジオの新番組が立て続けにスタートし、数々のCMにも登場。
国民的アイドルと呼ばれ始め、ムーヴメントが最高潮に達そうとしていたまさに充実期である。
そして、市井紗耶香の脱退という「衝撃」にヲタたちがどよめいた5月。
そのラストステージとなったのは、モーニング娘。初の日本武道館公演。
5年が経ち、今年その武道館からまた一人のメンバーが巣立っていく事になった。
奇しくも同じ5月の春の日。
繰り返す歴史が、過ごしてきた時間の長さを改めて実感させてくれる。


そんな2000年のモーニング娘。を語る上で欠かせないのが、
主演映画「ピンチランナー」である。


役どころに扮したメンバーが実際の駅伝競走に参加し、
そのレースの模様とストーリーをコラボレートさせて1つの作品に紡いでいくという、
いかにもモーニング娘。らしい壮大な企画が当時話題となった作品。
しかし、企画の斬新さもさる事ながら、
さまざまな事情を抱えつつも、「走る」という行為に魅せられていく
少女たちの青春群像を爽やかに描いた、まさにアイドル映画のお手本とも言うべき
見事なシナリオについても、もっと評価されていいと思う。
そして、その企画とシナリオを見事に1つの大作に纏め上げたのが名監督・那須博之であった。


「娘。たちが走れるかどうか不安になっているのを感じたんだけど、
まあ一回練習で走ってみようということになって、走ってみた。
そしたら、速い遅いはあってもみんな走れた。僕も含めて(笑)。
それで一気に『私たち、走れる』って顔になったの(中略)
短期間のロケだったけれども、スタートした時点からは7人がおそろしく変わってきたと思う。
それは僕が当初思っていた以上のいい意味での成長。
きっと映画を観た人は、ふだん、歌を歌っている以上の、
未知のモーニング娘。と出会えると確信しているよ、本当に」

          【「ピンチランナー」公式メイキングブック・モーニング娘。を追いかけろ!那須監督インタビューより】



走るのが不安で仕方なかったメンバーたちを、自ら一緒に走るという事で鼓舞し、
確かな一体感を築き上げ、そして、彼女たちの知られざる魅力を、
映画監督特有の鋭いセンスで開花させていく。
当時の彼女たちにとって、「仕事師」・那須博之との邂逅は、まさに貴重なものだったに違いない。
一つの作品を、みんなの力でより良い形へと作り上げていく事の素晴らしさ。
それを肌で感じ、体得した事で、芸能人としての幅が広がった彼女たちは、
後輩にもその思いを代々継承し続け、表現者モーニング娘。は現在に至っている。


那須監督の訃報に接し、5年という歳月の長さをまた別の形で実感させられる事になってしまった。
「いい時代」がまた一つ過去に遠ざかった。そんな気がしてならない。


心よりの冥福を。合掌。