032「ハナムケノハナタバ。/?」
2005年1月30日。
横浜アリーナで飯田圭織が餞の空間に身を委ねている頃、
ボキはたぶんいつもと同じ部屋の中でパソコンに向かっているだろう。
その時、一体ボキは心の中で何を呟いているだろうか。
市井紗耶香が卒業した2000年の武道館公演以降、昨年夏の辻と加護の時まで、
メンバーの卒業の瞬間はどんな事をしてでも必ず自らの目に焼き付けてきた。
どうやってもチケットが入手できず諦めかけていた時には、
奇跡とも思える幸運が舞い込み公演を見る事ができた。
あるいは、その瞬間に立ち会いたいがために、
目もくらむような何枚もの札束を使った事もあった。
振り返ってみれば、少し前までのボキは、人生の中で絶対に失ってはならない
「大きなもの」までをも犠牲にして、卒業の公演、
もっというと「現場」という空間に拘ってきた。
しかし、その「大きなもの」を、
あろう事か自らの不遜によって喪失してしまった代償として、
ボキは最も愛していた現場の一線から退かねばならなくなってしまった。
今回、ASAYAN時代から見続けてきた愛着ある飯田圭織の卒業セレモニーを、
そのような自業自得が理由で欠席せねばならない事について、
今はただ、自らを呪う事しかできない。
しかし、めでたい卒業の門出を迎えるにあたり、
そんな後ろ向きな事ばかりを言っているのでは、それこそ圭織に申し訳がない。
当日現場で卒業を祝ってあげられないのならば、
せめてこの場所で、しかも全世界の人々に向け、飯田圭織への餞を贈ろうと思う。
そして、この圭織への餞をもって、
数ヶ月に亘った、ボキの鬱屈とした「反省生活」へのピリオドとしたい。
「勝手にそんな事に使わないでください」
なんて圭織は怒るかもしれない。
でも、
「お互いがんばっていきましょう」
なんて「慈しむようなやさしさ」を見せてくれそうなのもまた、
飯田圭織という人だったりする
そんな、慈しみを得るまでの、
決して平坦ではなかった飯田圭織の娘。人生。
わずかばかりの「残り時間」を使って、
少し振り返ってみたい。
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