020「回顧2004〜9月から12月まで」

アイドルというと、どうしても幼稚なイメイジが先行しがちだが、
その存在は政治家や文化人などと同じ、紛うことなき「公人」である。
公人であるという事はすなわち、一般人とは一線を画されるべき存在であり、
その存在に伴う「責任」や「義務」といったものの持つ意味は、
当然、一般人のそれとは大きく異なってくる。
しかし、十代そこそこでアイドルと呼ばれる芸能人となり、
さして社会経験をする事もなく精神的成熟を迎えていく彼女たちに、
自らが公人であるという確固たる自覚が芽生えているものなのだろうか。
所属事務所の社会経験豊富なオトナたちが、
その事を執拗に彼女たちに教え込むという図式は容易に想像できるが、
果たしてそれが本当に身につき、自覚となって表れているのかどうか。
その事を考えさせられる出来事が今年の後半には相次いだ。


11月。ツアー帰りの新幹線内で、亀井絵里の呟いた言葉が
大きな波紋を広げたのはまだ記憶に新しい。
出来事の経緯は詳細が書かれた各テキストに譲るとして、
つまり亀井に「公人としての自覚」が芽生えていたのか否かという事に
ボキは大きく注目をしたいのである。


芸能人とはいえ年頃の女の子だ。
会場内外で見かけたいわゆる「キモヲタ」の事を意識しないはずはないし、
春先に話題になった石川や飯田のマイク音源が物語るように、
オフレコの部分では客である彼らを侮蔑し嘲笑している面も少なからずあるのだろう。
しかし、オフの部分はあくまでも本来我々の知る由もない事であり、
その領域までをも我々が土足で立ち入る事は絶対的なルール違反のはずだ。
だから、石川が客に対してどういう発言をしたのだとしても、
それは石川がヲタに責められるべき問題ではなく、
ルール違反を犯してまで彼女の素顔を垣間見ようとした
我々ヲタ側の「勇み足」である事を強く認識せねばならないだろう。


ただ、今回の亀井の一件については、言いにくい事ではあるが
亀井に「公人としての自覚」が欠けていたと言わざるを得ない。
なぜなら、石川の時と違い今回は、
ヲタが彼女らの領域に土足で踏み込んだという事実が一切ないからである。
コンサートホールと新幹線車内。シチュエーションは違えど、
ヲタとアイドルが同衾している以上、その関係は常に一定でなければならないはずだ。
だから本来プライベートとなった時オフレコでされるべき発言を、
つい口を滑らせただけとは言え、相手に聞こえるように発してしまったというのは、
諸々の事情を考慮しても、公人としての彼女のケアレス・ミスという側面は否めないのである。
もっとも、彼女ばかりを責めるつもりは毛頭ない。
件の発言の直前に、必要以上にヲタに対しての緊張感を作り上げてしまった
スタッフの言動こそは今回の一件の重要な罪悪であるとボキは思うし、
また、彼女の持つ「公人としての自覚」を教育しきれていなかった
周囲のオトナたち(それはメンバー内の先輩も含めて、である)も、
もう少しその事を強く意識するべきだったであろう。
そして、この「公人としての自覚」への意識の甘さが、その数週間後に起こる
「あの事件」へと発展していくのだ。


藤本美貴が病に倒れる寸前のステージを福岡で見たが、
異常な発汗にも関わらずステージを全うしようとしていた
彼女の鬼気迫るパフォーマンスに心打たれる思いがした。
ステージをいい物にしようとする向上心と努力。
そこに「心の成長」が注入されれば、彼女たちはきっともっと輝き、躍動していく事だろう。


2005年は「一皮剥けた」彼女たちを見たいし、見続けたい。


そんな風に思っている。