019「回顧2004〜4月から8月まで」

4月。かつてのハローの盟友・平家充代が、
「みちよ」として初の東名阪ツアーをスタートさせた。
その復活ライブの初日は、奇しくも数日前にモーニング娘。が同じくツアーの初日を行った大阪。
しかも、会場となった大阪ミューズホールと同じ建物の中には、
かつて自らのグッズも並べられていた、ハロプロのオフィシャルショップがあった。
そのような因縁を彼女はどう受け止めステージに立ったのだろうか。


大手のプロダクションを辞め、移籍先もままならない状態のタレントが、
「次の一歩」を踏み出すのがいかに難しいか。
皮肉な話ではあるが、同じASAYANのオーディション出身の鈴木亜美が、
それを我々にイヤというほど赤裸々に教えてくれた事は記憶に新しい。
彼女の場合はビジネス上のトラブルを多分に含んでいるので、
そのままを「みちよ」のパターンに当てはめられるものではないが、
ある日突然母体となる事務所を失い、おそらく現時点で唯一の「食いブチ」である、
歌やタレントの活動を止められてしまうという点、
そして、なにもかも全てがリセットされた状態から再度芸能活動に復帰した点など
共通する部分も多いので、芸能界の裏を知らない我々にとっても、
鈴木亜美のニュースを思い返せば、今回「みちよ」が復帰を果たせた事が
いかにすごい事なのかが、なんとなくではあるが解るというものだ。


鈴木亜美が何かで語っていたが、人前で唄える事の喜びは何物にも変え難いという。
それは言い換えれば、それまで「お仕事」として淡々とこなすだけだった
人前で唄うという行為が、いかに自分にとって大切なものだったかという事の実感。
そして、それを支持してくれるファンの存在もまた、
自分にとってはかけがえのないものだと彼女は呟いていた。
おそらく「みちよ」にとっても想いは同じだろう。
ハロー時代のヲタたちで、ライブハウスの狭い客席が埋まったのを見て、
ただただ嬉しかったに違いない。彼女の前途に幸多かれ、と切に願うばかりだ。


閑話休題


モーニングの春ツアーのセンターステージ方式は、
客席のヲタとの距離を縮めるという意味ではある程度の成功を収めたと言えるだろう。
その分パフォーマンスの粗さも目に入るのだが、それもライブの臨場感と割り切れば、
セットリストも含めて過去のツアーを鑑みても五指に入るほどの素晴らしさであった。
ミュージカルも今年は会場を中野サンプラザに移し、例年とは違う盛り上がりを見せたし、
6月には幕張メッセで文化祭を開催。ここでも、観客と近い距離の中で様々なパフォーマンスを見せた。


だが、ステージと客席の距離がいくら縮まったところで、
隔てている壁が厚ければ何の意味もない。
ボキは最近のコンサートやイベントにおいて、
ステージから発せられる「支持してくれるファンあってこそ」という想いが、
客席まで十分に届いていないような、そんな感じがしている。
プロとして、セットリストを一生懸命にやりきる事はもちろん大事だ。
それが結果としてファンの為にもなる。
だが、時に下を見て、客が今何を求めているのかという事を常に意識し、
その求めているものが解ったときに、それを演者なりにどう表現するか。
それもまたプロとして見せねばならないスキルだろう。
言いたくはないが、現在のモーニング娘。のコンサートやらイベントやらは、
あまりにも「お仕事」に徹しすぎなのではないかとボキは思うのだ。
それは何も演者であるメンバーたちだけの問題ではない。
余裕の持てない構成を作り上げるスタッフ、
さらには予定調和の盛り上がりやマンネリの心地よさにどっぷりと浸かりきり、
コンサートのあり方を変えようとしない客もまたその事については深く考えねばならないだろう。
もちろんそれは自戒も込めて、である。


人前で唄える事の喜び。
そして、自分たちを支えてくれる多くのファンたちへの想い。


8月に入ってから始まったW(ダブルユー)のコンサートが、あまりにその部分で優れていたので、
余計に本体コンへの歯がゆさが残った夏だった。