014「中澤裕子」


中澤裕子(公式サイト)
中澤裕子クリスマスライブツアー2004冬〜私が思うこんなクリスマス〜(大阪/キョードー大阪
中澤裕子クリスマスライブツアー2004冬〜私が思うこんなクリスマス〜(横浜/オデッセー)



2002年7月31日。


それは内外問わずハロー!に携わる者たちにとって
絶対に忘れる事のできないクライシス・デイである。
後藤真希保田圭の卒業。さらにはハロプロの大幅な再編。
あまりに突然だった発表。そして、その衝撃的な内容。
誰もが嘆息し、そして、一体どうなっていくのかという不安に苛まれながら
眠れぬ夜を過ごした。


当時のボキと言えば、まあ確かにショックではあったし、
発表のあったその夜は一睡もできず、
翌日の仕事も手につかないような状態だったのだが、
それはなんというか、モーニングやハローが今後どうなっていくのか
全然読めない事への焦燥、そしてその裏返しともいえる
「何が出るかな」的なドキドキ感も含んだ、
一種の胸の高揚のようなものだった。
つまり、今後のハローに対して持つ閉塞感や、
自らがヲタとしてどうしていくべきかという不安感は、
全くではないがほとんど感じる事はなかった。
なぜなら、それよりもずっと以前に、
すでにボキの中でそういった閉塞感や不安は芽生え、
そしてその答えが徐々に見えはじめていたからである。


2001年4月15日。


大阪城ホールの客席に星が瞬く。
時折声を詰まらせながら、万感の思いを込めて
「恋の記憶」を熱唱している中澤裕子の姿を、
バックステージ上の立見席からじっと見ていたボキの胸には、
彼女の卒業に対する寂しさやせつなさよりも、
「とうとう中澤裕子が卒業してしまった」という、
なんとも形容しがたい悲しさのようなものが渦巻いていた。


辻加護の加入。ミニモニ。の結成。
そして、どんどん子供寄りに特化していくグループ。
中澤の卒業を待たずして、急激に変わっていくモーニング娘。に、
ヲタとしてボキはどう対応すればいいのか。


でも、その答えを教えてくれたのは、他でもない中澤裕子本人だった。


相手に合わせて変わらなくていい。
相手が変わっていく事を追うのではなく、自分の歩幅そのままでその変化を捉え、
それでも変化に順応できないのであれば無理する事はない。
それは、卒業後の中澤裕子のハロー内での活動スタンスそのものであり、
つまり中澤は身をもって、変化への対応のお手本となってくれていたのだ。
キッズのメンバーが解らない事も、
入ってきた新メンバーが平成生まれだという事実に驚く事も、
場にそぐわない年齢相応の言動をする事も。


全ては流れのままに。


それが、我々にとっての活路であり光明であるのだと悟った時、
ボキはモーヲタを続ける決心がついたのだ。



そんな中澤裕子に自然体で癒されるクリスマス。


常に変化に身を追われ、
殺伐と毎日を過ごす「大人のハロヲタ」にとって、
これほどの殺し文句はない。


そろそろ疲れた…と思っている人にはマストなイベントなのではないだろうか。


これは一見の価値アリ、である。