283「奇才・吉澤教授の華麗なる一日」



ヨッスィー早大で教壇デビュー(ニッカンスポーツ)



かつて「入手困難」という漢字を「にゅうてこなん」と読み、
史実である大化の改新とは、中大兄皇子蘇我入鹿との間にできた子供の名前だと思っていた。
栄えある「バカ女」の座に、限りなく近い存在だった人物が、
数年の時を経て、都の西北早稲田大学のたくさんの秀才たちを前に、
あろうことか、1時間以上も講義の熱弁を揮う。
にわかには信じられないような、そんなシチュエーションが、
現実のものになったというのだから、こんなに痛快な事はない。
どのような雰囲気で、どのような内容の講義が行われたのかは全く解らないが、
女子芸能人フットサルという、言ってみればアップフロントが力業で開拓したジャンルが、
今や「トップスポーツビジネス」の研究対象となるほどの地位を獲得している、
という事実については、それを正面から受け止める必要があるだろうし、
それが、ボクが一貫して言い続けてきた「フットサル不要論」への、
一つのアンチテーゼとなるのは間違いないだろう。


日本における女子サッカー・フットサルの競技人口拡大を促進する、
言わば広告塔としての役割を担う。


そんな大義名分があるというのは、なんとなく知ってはいたが、
最初の段階で、フットサルというジャンルがあまりに唐突過ぎたのと、
時に憤怒の涙にまみれながら、ケガの危険も厭わず真剣勝負でぶつかり合う姿を目の当たりにし、
そこまでやらなければ、女子サッカーの素晴らしさを啓蒙する事ができないのかという、
ある種の猜疑心が、ボクをフットサル否定論者へと駆り立てた。
今では、そんな「サル・アレルギー」も少し和らいだ格好にはなっているが、
ボクがハロプロにに求めるものは、鬼のような形相で、
闘争心を剥き出しにして身体と身体をぶつけ合うような、
野蛮な姿などでは決してないのだという事だけは、終始一貫、不変の持論である。
ただ、その一方で、ガッタスというチームのもたらす「効果」の数々を、
率直に認めざるを得ないという風にも感じたりするのである。


ガッタスの存在が引き金となり、女子芸能人フットサルというカテゴリ全体のレベルが
大きく底上げされた事は、最も大きな効果であると言えるだろう。
そのおかげで、他チームもかなりパワーアップし、かつて最強と謳われたガッタスも、
今では群雄割拠の中の一チームとなってしまった感はあるが、
観客たちに見応えを提供するという意味では、むしろその方が好都合とも言えるだろう。
また、ガッタスのチーム内に目を遣れば、
様々な要因の中で、止む無く「半農半芸」というパーソナリティー
手放さざるを得なかった、カントリー娘。が、
ガッタスをきっかけとして、運動系のジャンルに活路を見出し、
それを足がかりに、アルバムリリース、そして単独ライブまで成功させたという事実がある。
もちろん、彼女たちの復活劇の裏にあるものはガッタスだけが全てではないが、
大きなウエイトを占めているのは間違いないだろう。
そして、今回の吉澤教授が、大学のゲスト・スピーカーとして講義を行ったのを受け、
芸能人フットサルとガッタスは、学術研究の対象となるほどの社会的認知を獲得したのである。


フットサルとガッタスを、手放しで認めてしまう事などできないと強く思う反面、
ファンとして、もはやそんな事を言ってもいられないほど、
フットサルの活動が、「ごく普通」の事になってしまっている現状もひしひしと感じられ、
ガチの不要論者として、その心境は実に複雑だ。
ただ、公演や弁論の経験が全くない一介のアイドルタレントが、大勢の聴講生を前に、
1時間以上も語れる「何か」がフットサルにはあるのだという事だけは、
心に留めておきたいと思っている。